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横浜地方裁判所 昭和51年(行ウ)6号 判決

原告

旭ダイヤモンド工業株式会社

右代表者代表取締役

田中有久

右訴訟代理人弁護士

岡昭吉

被告

神奈川県地方労働委員会

右代表者会長

江幡清

右訴訟代理人弁護士

武藤泰丸

参加人

総評全国金属労働組合神奈川地方本部

右代表者執行委員長

吉澤芳晴

参加人

総評全国金属労働組合神奈川地方本部旭ダイヤモンド支部

右代表者執行委員長

高橋勝

参加人

旭ダイヤモンド三重工場労働組合

右代表者執行委員長

今北弘

右参加人ら訴訟代理人弁護士

三浦守正

(ほか八名)

主文

一  参加人らを申立人、原告を被申立人とする神労委昭和四九年(不)第一五号、神労委昭和五〇年(不)第八号、同一一号、同三五号、同三七号不当労働行為救済申立事件について、被告が昭和五一年三月一九日付でした命令中、次の部分を取消す。

1  主文第一項中、松浦直美、簾かつ子、吉福勝己、駒木根とよ、阿部文子、水野富子、鈴木麻利子、小川仁一郎、川上香、吉田孝子、外門京子に関する部分

2  主文第二項

3  主文第三項(2)中、昭和五一年三月一九日までに参加人各組合の組合員資格を喪失した者について差額相当額の支払を命じた部分

4  主文第四項中、前記1ないし3に関する部分

5  主文第五項中、菅元紀に関する部分

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告との間においては、原告に生じた費用の三分の二を原告の、その余を被告の各負担とし、参加によって生じた費用については、その三分の二を原告の、その余を参加人らの各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  参加人らを申立人、原告を被申立人とする神労委昭和四九年(不)第一五号、神労委昭和五〇年(不)第八号、同一一号、同三五号、同三七号不当労働行為救済申立事件について、被告が昭和五一年三月一九日付でした命令を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  参加人らは、被告に対し、原告を被申立人として不当労働行為救済の申立をしたところ、被告は、昭和五一年三月一九日付で別紙命令書記載の命令(以下本件命令という。)をなし、同命令書の写は、同年四月三日、原告に交付された。

2  しかしながら、本件命令には事実の認定及び法令の解釈適用を誤った違法があるので、原告はその取消を求める。

二  請求原因に対する認容

請求原因1の事実は認め、同2の主張を争う。

三  抗弁

被告が本件命令において不当労働行為を認定した理由は本件命令書記載のとおりであり、被告の事実上及び法律上の主張は右記載のとおりである。これによれば本件命令は適法である。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1  本件命令書理由第1に対する認否

(一) 第12の事実中、参加人総評全国金属労働組合神奈川地方本部旭ダイヤモンド支部(以下参加人支部という。)が、昭和四九年四月一五日から全日全面ストライキ(以下ストライキをストという。)に入ったこと、同月一六日、原告が、基本給二万一六九一円上積み(以下アップという。)の第三次回答をなしたこと、参加人支部が同年五月二〇日から同月二四日まで毎日午後二時三〇分から終業時まで二時間の時限ストを実施したことは認める。

(二) 第13(1)ないし(5)の事実は認める。

(三) 第13(6)の事実中、第一、第三土曜日の賃金を支払っていない点は争う。

(四) 第13(9)の事実中、参加人支部が主張のスト通告をなしたことは認め、その余は否認する。

(五) 第13(11)の事実中、参加人支部が六名の組合員につきスト解除指令を伝達しなかった点は認め、その余は否認する。

(六) 第13(12)の事実中、原告が参加人支部に解除通知を求めたこと、参加人支部が二時間の時限ストを実施したことは認める。

(七) 第14(1)の事実中、通告の内容が組合活動の規制を内容とするとの点を否認し、その余は認める。

(八) 第14(2)の事実中、原告が参加人支部に対しては昭和四九年七月以降、参加人旭ダイヤモンド三重工場労働組合(以下参加人三重労組という。)に対しては昭和五〇年一月以降、就業時間内組合活動について一日につき基本給月額の二五分の一の割合で賃金カット(以下二五分の一方式による賃金カットともいう。)をなしたことは認め、その余は否認する。

(九) 第14(3)の事実中、一方的にとの点は否認し、その余は認める。

(一〇) 第14(4)の事実中、主張の労働協約の定めがあることは認め、その余は否認する。

(一一) 第15(2)の事実中、四月一六日の団体交渉(以下団交という。)が午後一時半ころから開かれ、原告から基本給二万一六九一円アップの第三次回答がなされたが、参加人支部は低額であるとして即座にこれを拒否したこと、膠着状態にあった団交は深夜に至っても全く進展せず、原告が団交打切りの申し入れをなしたこと、翌一七日午前五時ころ、吉中工場長が疲れたから団交を終了する旨告げ、出口に向かって歩き出したこと、菅元紀が出口のドアを背にして腕を後手に組むなどして吉中工場長の退出を妨害したこと、同工場長が気分が悪くなり、椅子に座り込んだことは認め、その余は争う。

(一二) 第15(3)の事実中、吉中工場長が救急車で病院に運ばれて診察を受けたことは認める。

(一三) 第15(4)の事実は認める。

(一四) 第15(6)の事実中、六月一九日、菅元紀に懲戒処分通知書を交付したことは認める。

2  原告の主張

(一) 昭和四九年五月分の基本給不支給について

(1) 第一、第三土曜日の無給休日性

原告は、本件命令書第13(4)記載の経過を経て、第一、第三土曜日を休日としたが、右の休日は、設定の趣旨、文言(昭和四六年度協定は日が特定しなかったため便宜上特別有給休暇と表示したもの)、就業規則の休日条項への挿入等から、有給休暇ではなく、無給の休日であることは明らかであり(昭和四七年度協定において特別有給休日としたのは前年度の文言をそのまま使用したにすぎない)、このことは年間総所定労働日数に右休日を加えずに時間外勤務手当を計算していることからも窺い知れるところである。なお、昭和四七年度の土曜日出勤に際し、原告は割増賃金しか支給しなかったが、これは誤解に基づいたもので、昭和四八年度以降はその取扱いを改めているから、右事実をもって無給性を覆えすものではない。なお、昭和四九年五月分の賃金計算期間内の所定労働日数は一九日となるが、本件命令は、第一、第三土曜日を特別有給休暇としながら、これを所定労働日数に算入していない点でも矛盾がある。

(2) 昭和四九年五月二〇日の不就労の取扱い

労働組合がストを解除ないし長期継続ストを打切る場合には、組合員に対し、スト解除指令ないし就労命令をなすべき義務があり、この義務に違反したために組合員が就労しなかった場合には、組合員は使用者の労務指揮権を排除する意思を有しており、また、右指令を受けながら当日までに欠勤届を提出せずに就労しない場合は、使用者の労務指揮権に服する意思がないと判断せざるを得ないから、いずれの場合も使用者の労務指揮権下にある場合の不就労である欠勤と同視できず、如何なる意味でも賃金請求権は発生しないところ、参加人支部においては、四月一五日以降完全ピケ及び遠方へのアルバイト体制により二五日間にわたってストを継続し、五月一七日のスト通告には「解除通知あるまで」と記載していることから明らかなとおり無期限ストを実施していたものであり、同月二〇日に就労しなかった本件命令書別表記載の者の数が通常の欠勤者数の二倍以上で、事前及び当日はもちろんその後も欠勤届を提出していないことからすれば、同支部のスト解除指令が不徹底であったことは明らかであり(なお、同日不就労の者のうち六名についてはスト解除指令が不徹底であったことを参加人支部も認めているところである。)、仮りに、右指令が徹底していたとしても、当日までに欠勤届を提出していない以上、原告の労務指揮に服する意思を有していなかったといわざるを得ないから、同表記載の者らが賃金請求権を取得する理由はない。なお、原告が、五月二〇日の不就労理由の調査をなしたのは、日給者と日給月給者とで不就労理由による賃金の取扱いが異なるためにとった当然の措置であり、参加人支部に対する支配介入の意図をもってなしたものではない。

(3) 五月分基本給不支給の正当性

(ア) 賃金は、拘束された勤務時間に対して支払われる対価的部分と生活保障的性格を有する部分とに区分されるところ、前者については、労務の提供がなければ賃金請求権は発生しない(ノーワークノーペイの原則)ものであるから、一賃金計算期間内を通じて不就労の場合は、賃金カットの割合を問題にする余地はないものであるところ、同年五月の所定労働日に全く不就労であった本件命令書別表記載の者らについて、拘束された勤務時間に対して支払われる対価的賃金たる性質を有する基本給を全額支給しなかったのは当然である。

(イ) 仮りに、賃金カットの割合を問題にするにしても、その算定は当該月の所定労働日数を基礎とするのが正当であり、このことは年間総所定労働日数を基礎として算定する時間外勤務手当の計算方法からも是認し得るところである。

(ウ) 日給月給者について一賃金計算期間を越えて欠勤した場合、賃金を全く支給しないとの慣行(これは理論的には(イ)の方法によっているものである。)があるので、ストによる不就労の場合、月給者を含めて右取扱いに従うのが合理的である。

(エ) 従前、ストの場合には二五分の一方式で賃金カットをしてきたが、右の取扱いは慣行となっていたものではないうえ、一賃金計算期間を越えるストの場合を予定したものではなく、また、その前例もないから、この方式を適用することはできない。

(オ) 日給月給者の欠勤等につき二五分の一方式により賃金カットするとの協定が存するが、これは、ストの場合を予定していたものではなく、また、欠勤もストも不就労の点では同一であるが、前者が就労義務を負っている場合の不履行で査定への反映が可能であるのに対し、後者は権利として就労義務を免れるもので査定への反映が不可能であるとの相違があるから、右協定をストの場合に適用ないし準用する余地はなく、ましてや、欠勤の場合の賃金カット方式が恩恵的になっている場合はなおさらである。もっとも、短期のストであれば正常な労使関係も存在するから、欠勤の場合の賃金カット方式を適用ないし準用することも不当ではないが、一賃金計算期間を越える場合には、そもそも前記協定自体がこのような長期の不就労の場合を予定していないのであり、ましてや、本件のようにストに違法行為が付随している場合にはとうてい適用ないし準用する余地はない。

(カ) 二五分の一方式による賃金カットがなされてきたのは、年平均月間所定労働日数が二四・六六日であったことを前提にしていたものであるところ、(1)記載の休日の増加により、昭和四九年当時においては、年平均月間所定労働日数が二二・三二日になり、二五分の一方式は不合理となっていたものであるから、この方式を適用するのは不当である。

(キ) 二五分の一方式による賃金カットの場合には、(カ)の事情等により、ストに対して実質的に賃金を保障することになり不合理であるばかりでなく、労組法七条三号の経理援助にも該当する。

(4) 組合員資格喪失者に対する救済の違法性

労働組合は、使用者による個々の組合員に対する不利益取扱いにつき当該組合員が争う意思を有しない場合は、不当労働行為の救済申立をなし得ないものと解すべきところ、本件命令書別表記載の者らのうち、松浦、簾かつ子、駒木根、阿部、水野、鈴木、川上、吉田、外門は昭和五〇年三月二五日までに、永井、磯田、皆川はその後、いずれも本件で争われている賃金につき何ら意思表示することなく退職し、また、吉福、小川は同年三月までに前同様の意思表示なく配転に応じて、いずれも参加人支部組合員としての資格を喪失したものであるから、右の者らに対して救済を命ずることは許されない。仮りに、被告主張のように、個々の組合員について請求放棄の意思表示があるまで救済利益があるとの前提にたったとしても、係争中の賃金額は二万円であることを考慮すれば、黙示的に請求放棄の意思表示をなしたものというべきである。なお、右の者らは、参加人支部に対し、賃金の受領権限を付与しているが、これは賃金直接払の原則に違反するものであり、また、このことは、右の者らが争う意思を継続していない証左でもある。

(二) 菅元紀に対する懲戒処分について

(1) 懲戒処分該当事由

四月一六日午後一時半ころから開催された原告と参加人支部との間の団交において、原告は、十分評価し得る第三次回答をなしたが、参加人支部から慣例に反して検討もせずに即座に再回答を迫られ、午後六時すぎには交渉進展の見込みがないため団交打切りの提案をなし、その後も、吉中工場長が翌日の法事へ出席する予定のある事情を説明して同様の申し入れをなしていたのに対し、参加人支部は、金で代替が利くとかドクターストップまで行うなどと暴言をはくなどし、これに傍聴者の野次も加わって騒然たる雰囲気となる中で、さらに低額回答であることを文書で確認せよなどと無法の要求をなし、応じなければ、翌一七日一杯帰さないなどと称して、原告側交渉委員を監禁状態にしていたところ、連日の長時間にわたる進展のない交渉継続により原告側交渉委員の疲労が蓄積し、特に本態性高血圧症である吉中工場長は気分が悪くなったため、一七日午前五時ころ、その旨説明して団交終了を提案し、参加人支部側の異議のないことを確認して出口に向かって歩き出した矢先に、単なる傍聴者にすぎなかった菅元紀が、同工場長の前に立ちふさがり、警告にもかかわらず同工場長を体で押し戻しあるいは左右に動くなどして約一〇分間にわたって歩行を妨害し、さらに、ようやくドアの把手に辿りついた同工場長の手を腕や腰でふりほどき体で押しもどすなどしてさらに約一〇分間にわたって退出を妨害し続け、その結果、同工場長は、気分を一層悪化させて近くの椅子に倒れ込み、救急車で病院に運び込まれて全治五日間の安静加療を余儀なくされたものである。

(2) 懲戒処分の正当性

(ア) 前記(1)記載の菅元紀の行為が暴力行為に該当することは明らかであり、また、長時間の団交で疲労が蓄積し気分が悪くなっていたところに、右菅元紀の右行為が決定的なものとなって吉中工場長が倒れ、刑法上傷害と評価し得る生理機能に対する障害を発生させたものであって、その結果は重大である。

(イ) 吉中工場長は、誠意をもって団交に応じていたものであるが、交渉の進展がないうえ、疲労も蓄積していたことから、団交を打切ったもので、右の処置はもとより正当である。また、吉中工場長は、高血圧症とはいえ本態性のもので通常治療を必要とせず、従前団交には必ず責任者として出席していて何ら支障がなかったが、参加人支部から極めて異常な状態のまま長時間にわたって団交を強要され、徹夜交渉の経験もほとんどなかったため、一見して何人にも認識し得るほど極度に疲労して気分が悪くなっていたところに、菅元紀から(1)記載の暴行を受けて倒れるに至ったものであり、吉中工場長が団交に出席したことに何ら責められるべき点はない。

(ウ) 菅元紀は、本件以前にも吉中工場長の工場への入構を阻止している事実があり、参加人支部が原告側交渉委員に打撃を与えるなどと広言している事実とを考え合わせると、本件は菅元紀の個人的行動とはいえ、決して偶発的なものではない。

(エ) 菅元紀の右行為は、その態様、結果の重大性その他の情状等を総合すると、とうてい正当な組合活動とはいえないうえに、同人は日常の勤務成績も悪かったため、この点も考慮に入れ、保証人、本人の意見も徴して部課長会議において審議し、三日間の出勤停止処分に処したものであり、懲戒処分の程度からみるとその行為に比してむしろ軽きに失するものである。

(オ) なお、懲戒処分に際し理由を告知する必要はなく、また、事後に処分理由を付加することを妨げないから、菅元紀につき勤務成績不良を処分理由に追加することは適法である。

(三) 就業時間内組合活動及びストライキに対する賃金カット方式の変更

(1) 変更に至るまでの経緯

(ア) 玉川工場

原告は、参加人支部に対し、労使間の交渉、原告の要請による原告提案についての検討のための集会への各出席の場合は、賃金の支給及び就業時間内組合活動を認め、右の場合以外は原則としてこれらを認めていなかったところ、昭和四九年以降、参加人支部は公然且つ一方的に就業時間内組合活動を開始し、原告からの自粛申し入れを聞き入れなかったため、経理援助禁止の法理に照らし、同年七月から二五分の一方式による賃金カットをすることとしたが、この方式によったのは、ストの賃金カット率について参加人支部と係争中であり、これ以上紛争を増加させないためと、当時、就業時間内組合活動の人数、回数、時間、活動者の範囲も極めて限定されていたためであった。それゆえ、右の規模以上に拡大させた場合は、賃金カット率を該当月の所定労働日数の割合による方式に変更する旨の条件が付されていた。しかるに、その後、参加人支部は、就業時間内組合活動の人数、回数、時間を増大させたばかりでなく、活動者の範囲を三役(委員長、副委員長、書記長)からそれ以外の組合員にまで拡大し、しかも予告もなく行うようになり、原告からの再三の自粛の申し入れに対して、組合の権利であって無制限であるなどと背信的主張をなして全く是正しなかったため、やむなく、原告は、参加人支部に対し、昭和五〇年三月四日、二四日の両日口頭で予告したうえ、同月二五日、正式に文書により、就業時間内組合活動及びストに対する賃金カットを該当月の所定労働日数の割合で実施する旨を通告したものである。

(イ) 三重工場

原告は、参加人三重労組に対し、参加人支部に認めていた場合のほか、労働協約一一条所定の場合にも賃金の支給及び就業時間内組合活動を認め、右の場合以外は原則として認めていなかったが、昭和五〇年一月八日、参加人三重労組から、前記の場合以外にも就業時間内組合活動を認めるよう申し入れてきたので、就業時間内組合活動の場合には二五分の一方式により賃金カットをすることとしたが、(ア)のとおり玉川工場においてカット率を変更したため、同年四月一日に参加人三重労組に対し同様の方法に変更したい旨通告したところ、特に反対の意思の表明はなく、同月二四日同様の趣旨を通告した際も本社への要望として要求書を提出したにすぎず反対ということでもなかったため、賃金カット方式を変更したが、特に団交申し入れはなされなかった。

(2) 変更の正当性

(ア) ストの場合の賃金カット方式については、前記(一)(3)(ア)ないし(キ)のとおりであり、これは基本的に就業時間内組合活動にも妥当する。

(イ) 就業時間内組合活動は、労働者の権利ではなく、使用者の自由裁量によりその許否を決することができ、その許否につき条件や制限を付することができるものと解されるところ、玉川工場においては、前記のとおり就業時間内組合活動の規模を拡大した場合には賃金カット方式を変更するという条件を付していたので、参加人支部の規模の拡大により、右条件に従って賃金カット方式を変更したものである。また、二五分の一方式の賃金カットは、昭和四九年七月時点において就業時間内組合活動が極めて限定されていた状況のもとで恩恵的なものとして設定されたものであるところ、参加人支部は、原告からの自粛申し入れを聞き入れず、無制限などと称して、その規模を拡大し続け生産業務にも影響を与えるほどになったものであるから、恩恵的措置を与える基盤は存在しなくなったものであり、理論的に正当な賃金カット方式への変更は当然である。

(ウ) 原告は、参加人支部、同三重労組に対し、従前、原則として就業時間内組合活動を認めていなかったもので、二五分の一方式で賃金カットした例は、玉川工場においては、期間七ケ月のうち件数六九件で、かつ規模を拡大しないとの条件付のうえ、再三自粛申し入れがなされていたのであり、三重工場では、期間二ケ月半のうち件数は二七件で、労使双方が暫定的措置と認識していたのであるから、二五分の一方式による賃金カットが慣行として成立していたとはいえず、いずれも暫定的なものにすぎなかった。なお、玉川工場において、原告が就業時間内組合活動に対し原則として賃金カットする旨の八項目通告をなした際、労使間に従前どおりの取扱いをする旨の協定が成立しているが、就業時間内組合活動を認めていなかったのであるから従前どおりの取扱いをする旨の右協定をもって二五分の一方式の賃金カットの慣行を裏付けるものではない。

(エ) 日給月給者の欠勤等の場合の二五分の一方式による賃金カットの協定は、就業時間内組合活動の場合を全く予定していないから、この場合に右協定を適用ないし準用することはできないし、ストとも必ずしもその性質が同じでないから、ストの場合の賃金カット方式を適用ないし準用することも相当でない。

(オ) 就業時間内組合活動に関する事項はもともと団交の対象ではなく、また、ストに関する賃金カット方式も参加人支部との間では交渉により合意できる客観的条件はなかったが、反面、そのまま放置しておくことのできない事柄であったため、口頭で予告のうえ、前記のように理論的に正しい方式に変更したもので、右の変更はやむを得ない措置である。なお、参加人三重労組との間においては、その同意を得て変更したものであり、労働協約には賃金カット方式の変更について事前協議ないし同意約款は存在しないから、団交をしなかったからといって協約違反とはならず、また、参加人三重労組は団交申し入れをなしていないから、団交拒否はあり得ない。

五  原告の主張に対する参加人らの反論

1  (一)について

(一) (1)について。第一、第三土曜日は、当初の特別有給休暇の性質を何ら変更したものではなく、単に日の特定した有給休暇が増加したものにすぎない。

(二) (2)について。参加人支部の五月一七日までのストは一日限りのものであり、同月二〇日にはスト通告もしていないのであるから、無期限ストを前提としたスト解除指令の不徹底を問題にする余地はないのみならず、同日の不就労は個人的事情によるもので、当時の状況から事前及び当日に欠勤届の提出はできなかったものの、事後にはその届出をなしており(なお、年次有給休暇を行使しようとしたところ原告から拒絶された者もいる。)、同日の不就労をストの継続あるいは部分ストと評価してスト扱いする理由は何もない。

(三) (3)(ア)について。原告の支給する基本給は、生活保障的側面も強いのであるから、そのすべてを労働時間に対応させることは無理であって、賃金カットの基礎たる数値と該当月の所定労働日数との間に差が生じてもやむを得ないのであり、結局、労使間の合意により合理的な賃金カット方式を決定せざるを得ないものである。

(四) (3)(ウ)について。月給者については、一賃金計算期間を越える欠勤の場合であっても賃金は全額支給されており、原告主張の事実があるとすれば労働協約に違反しているというべきである。

(五) (3)(エ)について。昭和四二年の最初のスト以来昭和四九年四月まで、一貫して二五分の一方式で賃金カットがなされてきて、これが慣行となっていたことは明白であり、この方式は、ストが一賃金計算期間を越える場合に不適用となる合理的理由は見出し難い。

(六) (3)(キ)について。経理援助禁止の法理は、労働組合の自主性を損い御用組合化の防止を目的とするのであるから、その該当性の判断は個々の労使間において実質的、具体的になされねばならないところ、ストや就業時間内の組合活動に対する賃金保障は我が国の労使関係においてはむしろ合理性があり、労働組合の自主性の現われともみられているのであり、この理は、原告と参加人支部、同三重労組間においても同様であるから、経理援助には該当しないものというべきである。

(七) (4)について。参加人支部は、永井、磯田、皆川を除く原告主張の組合資格喪失者らにつき、原告に代わって係争賃金相当額を支払い、もし原告から右賃金の支払を受けたときは直接参加人支部が受領する権限を与えられているから、右組合資格喪失者らは、係争賃金について明示的にも黙示的にも請求放棄の意思表示をしていない。

2  (二)について

原告の前記第三次回答も客観的にみてとうてい誠意ある回答とはいえないものであったが、参加人支部は、休憩時間を利用して組合員にこれを検討させたうえ団交継続を申し入れ、原告が参加人支部からの説明要求に長時間沈黙するなどして時間がいたずらに経過するなかで、交渉進展の方向を確認したうえでの団交終了提案をなしているほどであり、原告主張のごとき参加人支部が不誠実な交渉態度をとったことは全くない。むしろ、原告が右提案にすら応じることができないでいるうち、吉中工場長が突然一方的に団交の終了を宣言して歩き出したため、前にも団交を拒絶して工場長室に閉じ込もったことがあったので、傍聴人から交渉委員に代わっていた菅元紀が、団交にけじめをつけるよう求めて、数分間ドアの前に立ちふさがり同工場長を説得しようとしたものであり、何ら暴力行為とみられる行為をしたものではなく、同人の右行為は正当な組合活動の範囲内である。もっともその後、吉中工場長は近くの椅子に腰をおろしたが、これは疲労していたのに加え室内が騒然となったためであり、菅元紀の行為とは全く関係がなく、このことは診断書が内科的疾患にしか触れていないことからも明らかである。

3  (三)について

(一) (1)(ア)について。原告主張の集会等の出席をも含めて、参加人支部の昭和四九年七月までの就業時間内組合活動は人数、回数、時間とも僅かであって、原告からの自粛申し入れはなく、むしろ同月の就業時間内組合活動に対して一方的に賃金カットしてきたことに抗議したところ、二五分の一方式で賃金カットをする取り決めがなされたのであって、その際原告主張のような条件がつけられたようなことはなかった。

(二) (1)(イ)について。三重工場においては、原告主張の場合のみ就業時間内組合活動が認められていたが、右以外の就業時間内組合活動の場合につき、労使間で昭和五〇年一月八日に二五分の一方式で賃金カットする取り決めをなし、これに基づいて実施されていたが、原告から同年四月一日に突然、カット方式変更の通告を受けたため、参加人三重労組は、反対の意思を表明し、さらに、同月二四日に前同様の通告がなされたため、要求書を提出して右通告撤回の団交申し入れをなしたところ、これに対し、三重工場のみでは決められないとして団交を拒否されたので、やむなく本件救済申立を行ったものである。

(三) (2)(イ)について。就業時間内組合活動は、それが正当なものである限り使用者が受忍すべきものであって、この場合の賃金カットに関して労使間に合意ないし慣行がある場合には、一方的に使用者の意思により変更し得るものではない。しかも、原告の本件賃金カット方式の変更は、賃金カットの増大により組合活動を規制することを目的としてなされたものであって、極めて不当である。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、原告は、ダイヤモンド工具の製造販売を目的とする株式会社で、肩書地(略)に本社を、神奈川県川崎市に玉川工場を、三重県上野市に三重工場を置いていること、参加人支部は、玉川工場の従業員で組織する労働組合で、昭和四九年五月当時組合員二〇六名、参加人三重労組は、三重工場の従業員で組織する労働組合で、昭和五〇年当時組合員二八〇名を、それぞれ擁していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  昭和四九年五月分の基本給不支給について

1  春闘の経過

昭和四九年四月一六日、原告が基本給二万一六九一円アップの第三次回答をなしたこと、参加人支部が、同月一五日から同年五月一七日まで連日にわたり全面全日ストを実施し、同月二〇日から同月二四日まで毎日午後二時三〇分から終業時まで二時間の時限ストを実施したことはいずれも当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実を認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  参加人支部は、スト権を確立したうえ、昭和四九年三月二日、原告に対し、基本給三万九〇〇〇円のアップ等を主要な内容とする春闘要求をなすと共に、これにつき団交の開催を申し入れていた。しかし、原告の都合により開催が遅れ、同月二〇日になって第一回の団交が開催されたが、実質的な交渉は行なわれず、その後同月三〇日の団交において、原告から基本給一万八八三四円アップの第一次回答がなされたが、参加人支部はこれを拒否し、基本給三万円アップが最低の妥結条件であり、四月上旬の妥結を企図している旨をビラ等で訴えていた。同年四月四日には、参加人支部が全日ストを実施する中で、原告から基本給二万〇〇六九円アップと家族手当一〇〇〇円増額の第二次回答がなされたものの、要求からはかけ離れていたため参加人支部においてこれを拒否し、その後数回団交が開催されたものの、格別の進展はみられなかった。

(二)  そのため、参加人支部の役員らは、同月一三日、原告本社に赴いて副社長らと面談し、早期解決の要望と解決にとっての同月一六日の団交の重要性を訴えた。そして、同月一五日から全面全日ストが実施される中で、同月一六日の団交において、原告から基本給二万一六九一円のアップ、家族手当は前回と同様とするとの第三次回答がなされたが、参加人支部は、これを低額として即時再回答を求め、翌一七日午前五時すぎまで団交が継続されたけれども妥結に至らなかった。同日以降は、団交のあり方をめぐる意見の対立から団交が開催されず、ようやく同月二六日に、原告から基本給二万三三八九円、家族手当二〇〇〇円(妻)、同一〇〇〇円(子)、住宅手当二〇〇〇円の各アップの第四次回答がなされたが、参加人支部はこれを拒否し、団交後の事務折衝において、原告の求めに応じて、基本給三万円アップが絶対必要と記載した書面を交付して、改めて従来からの立場を強調した。その後五月二日に原告から基本給二万五一三二円アップその他は前回と同様とするとの第五次回答がなされたが、参加人支部は納得せず、同月八日から一〇日にかけて同支部役員らが再度原告本社に赴き要求の正当性を訴えた。このような状況の中で、同月一四日、原告から総額三万円アップとの第六次回答がなされるに及んだ。そこで、参加人支部は、同日の代議員会、翌一五日の執行委員会、同月一六日の代議員会及び全体集会での検討を経て、再度代議員会で検討した結果、同日、第六次回答は必ずしも満足できるものではないものの、闘争が長期化していることや今後の見通し等から、全日ストは原則として実施せず、状況に応じて時限ストを実施するとの戦術転換を決定し、組合員に対し、翌日の始業開始時間前に玉川工場前に集合するよう指示した。そして、一六日夜、参加人支部の高橋委員長ほか一名と原告側の吉中工場長、藤井総務課長とで事務折衝を行い、参加人支部は、翌一七日もストを実施するが、解決のために精力的に交渉をなすとの双方の意思確認がなされた段階でストを解除する旨通告した。同日、参加人支部は、始業開始前に「本日始業時より解除通知あるまで、就労を拒否します。」とのスト通告をなしたうえ、全体集会を開催し、集合していた組合員に前日の事務折衝の経過を報告し、組合員が待機する中で、同日午前八時四五分ころから原告との間で団交を開催した。その際、原告側から、従前のスト通告には終了時間が明示されていたのに同日のスト通告にはそれがない旨の指摘があったが、参加人支部は、前日の事務折衝の趣旨からして最大限当日の勤務時間終了時までと言明していた。同日の団交によって、アップ分のうち二〇〇〇円は基本給でなく一年限りの一時金であることが明確となり、基本給であると認識していた参加人支部はこれを不満とし交渉が紛糾したため、ストは解除されることなく終日継続されることになった。かくして、参加人支部は、同日夜、全体集会を開催して団交の内容を説明し、その際、同月二〇日にストを実施するか否か未定のため当日の始業開始前に工場前に集合するよう指示し、なお右全体集会に欠席した四五名については電話等でその旨の連絡をしたが、連絡のできなかった者もいた。その後、代議員会を開催した結果、前述の方針転換に従い、同月二〇日は全日ストを実施しないことを決定したが、原告にはその旨の通知をしなかった。

(三)  同月二〇日、参加人支部は、工場前に集合した組合員にストを実施しない旨告げ、就労しようとしたが、通用門に鍵がかかりタイムカードも撤去されていたので、藤井総務課長に電話で就労の申出をなしたところ、同課長から文書による就労の通知を求められたため、「本日始業時より就労致します。」との文書による通知をなして就労した。しかし、同日午前中の事務折衝においてもアップ分二〇〇〇円問題について進展がなかったため、同日午後二時三〇分から二時間の時限ストをなし、同月二四日まで同様時限ストが継続されたが、依然として交渉に進展がなく、同月二五日には、被告にあっせん申請することで原告、参加人支部間で合意がなされ、同年六月四日、基本給二万七一三一円、家族手当妻二〇〇〇円、子三人まで一五〇〇円、住宅手当一〇〇〇円のアップ、一時金二万四〇〇〇円とするとのあっせん案を双方が受諾し、ここに春闘は終了した。

(四)  参加人支部は、春闘に関し、同年三月二六日の全面半日ストを始めとし、同月二七日指名半日全面半日スト、同月二八日指名全日スト、同月二九日全面半日スト、同年四月一日、二日指名半日全面半日スト、同月三日指名半日スト、同月四日、五日全面全日スト、同月九日全面全日スト、同月一二日全面半日スト、同月一三日指名半日全面半日スト、同月一五日以降同年五月一七日まで全面全日スト、同月二〇日から同月二四日まで全面時限ストを実施したが、いずれも一日単位であり、前日ないし当日の始業開始前に「本日始業時より終業時までの間(時限の場合はその時限)就労を拒否します。」と記載したスト通告書(指名ストの場合は氏名も)を交付してなした。もっとも、昭和四八年以前のスト通告は、数日間ないし複数の期日を指定してなされていたが、昭和四九年以降においては、同年一月に加盟した上部団体である参加人総評全国金属労働組合神奈川地方本部(以下参加人全金という。)の指導もあり、一日の交渉に最大限の努力をするという交渉重視の立場から、一日単位に改められたものであった。なお、ストを途中で解除する場合は、解除通告書を交付してなすのが例となっていた。

2  四月二一日から五月二〇日(以下五月分賃金計算期間という。)までの賃金の取扱い

(一)  五月分賃金計算期間内の所定労働日数と休日の無給性

(1) 五月分賃金計算期間が四月二一日から五月二〇日までであること、この期間内の暦日が本件命令書第13(1)表のとおりであることは当事者間に争いがない。

(2) 休日の無給性

原告と参加人支部、同三重労組との間に、昭和四六年五月八日に「月一回特別有給休暇とする。」旨の、昭和四七年五月一七日に「特別有給休日を現行の上に三日増加する。但し現行の月一回土曜交替休日は、昭和四七年六月以降各月第三土曜日、増加分は六、七、八月の第一土曜日とし、いずれも一斉休日とする。」旨の、昭和四八年五月二九日に「現行休日の上に休日を増加し、毎月第一、第三土曜日を休日とし、四八年度の暦を定める。」旨の各協定が締結されていることは当事者間に争いがなく、右当時者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、昭和四六年ころ、参加人支部、同三重労組から労働時間短縮の一環として月一回特定休日の増加要求がなされ、原告は右要求を受け入れて、月一回土曜日を不就労日とすることにしたものの、業務の都合で従業員一斉の休日とすることができず交替制とせざるを得なかったところから、便宜上、就業規則二八条の特別有給休暇扱いとしたが、実質上休日を付与する趣旨であったため、欠勤との振替や繰越しを認めないことにしたこと、昭和四七年には、不就労日を特定する体制も整ったため、明確に休日とする旨の協定を締結したが、昭和四六年の協定との関係から有給休日との表示をしたこと、同年八月には参加人支部の同意も得て、就業規則一八条の休日条項に右増加した休日を加える改正を行ったこと、なお、右就業規則一八条には、週一回の日曜日、国家の制定した祝祭日、年末年始、会社創立記念日、五月一日(メーデー)が休日と規定されているが、会社創立記念日のみ有給とされていること、これは日給者について会社創立記念日の不就労者にも賃金を保障するためで、昭和四五年に日給者が日給月給者になってからは全く無意味な規定となったこと、昭和四八年には、一日当りの労働時間の増加をも考慮したうえでの完全週休二日制を三年計画で実施する目的のもとに昭和四八年協定が締結され、使用する暦もその旨改められたこと、また、祝日が日曜日にあたるときは翌日を休日とする旨の法令の改正に伴い原告においても、同様の取扱いをなすことにしたこと、こうした土曜日の不就労日の増加に従い、時間外勤務手当の計算に際しても、年間総所定労働日数に右不就労日を算入しない扱いとされていたことがそれぞれ認められ右認定を左右するに足る証拠はない。右認定の協定締結の経緯、不就労日増加の趣旨、時間外勤務手当の計算方法等を総合して考えれば、昭和四七年以降の不就労日である土曜日は無給の休日であったものと認められ、(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。なお、昭和四七年の前記協定の締結後、不就労とされた土曜日に出勤した従業員に対し、原告が有給休日であることを前提に休日割増賃金を支給し、組合も結果的にこの取扱いを容認していたことは当事者間に争いがないが、(証拠略)によると、右は非組合員に対する取扱例であり、参加人支部は右取扱いを容認したというもののその妥当性に疑問を抱いていたこと、原告が右の取扱いをなしたのは誤解に基づくもので、昭和四八年以降は右の取扱いはやめ、休日振替措置等をとったことが認められるから、前記事実をもって不就労日の土曜日が有給であることの資料となすことはできない。

(3) 以上、(1)(2)によれば、五月分賃金計算期間内の所定労働日数は一九日であり、その余はいずれも無給の休日であったことが認められる。

(二)  五月分賃金計算期間の原告の賃金の取扱い

参加人支部が五月分賃金計算期間内に全日スト一八日、時限スト二時間を実施したことは前記のとおりであり、原告は、五月二〇日に就労した者については就労時間が五・五時間であったので、一八日と二時間について二五分の一方式で基本給について賃金カットをなし、その結果、六日と五・五時間分の賃金を支払ったこと、同日に不就労の本件命令書別表記載者については、一か月を通じストライキにより全く就労しなかったとして住宅手当、家族手当を除く基本給全額をカットしたことは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、五月分の賃金支給に関し参加人支部から質問があった際、原告は、五月二〇日の就労者については就労時間五・五時間の基本給を支給し、不就労者については全額支給しないと答えたところ、参加人支部から強い異論が出されたため、疑問を抱きつつも、

〈1〉 就労者については、一八日と二時間のストについて二五分の一方式で賃金カットすることとし、賃金明細表にもその旨表示したこと

〈2〉 不就労者については、五月二〇日の不就労の理由は、参加人支部の連絡不徹底によるものであるから同日もストを継続したものであり、賃金計算期間内に全く就労がなかったとして基本給を全額カットし、賃金明細表にはストと表示して時間数は明示せず単に基本給全額を記載したこと

〈3〉 もっとも、不就労者でも五月二〇日に結婚による特別有給休暇を行使した者二名については出勤扱いとし、一八日につき二五分の一方式で賃金カットしたこと

〈4〉 また、同年四月二二日から同月二六日まで結婚による特別有給休暇を行使し、同年五月二〇日不就労であった日給月給者一名については、特別有給休暇行使期間は出勤扱い、五月二〇日については二時間の時限ストと五・五時間の遅刻とし、賃金明細表にはスト日数一三日と二時間、遅刻五・五時間と記載していずれも二五分の一方式で賃金カットしたこと

なお、右いずれの場合も住宅手当、家族手当は支払ったことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  スト、欠勤、遅刻、早退についての賃金の取扱い

(1) 原告と参加人支部、同三重労組間において、昭和四五年五月一五日、日給月給者の欠勤、遅刻、早退は、一日につき月給額の二五分の一の割合で差引くとの協定が締結されたこと、月給者においては、欠勤、遅刻、早退の場合でも月額賃金全額を保障していることは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に(証拠略)を総合すると、昭和四五年以前は月給者と日給者の区別があり、月給者は大学卒ないし日給者のうち一定勤続年数を経た者で、賃金計算期間内の所定労働日数如何にかかわらず一定の賃金額が保障され、欠勤、遅刻、早退による賃金カットがなされないこと、他方、日給者は賃金計算期間内の所定労働日数により賃金額が変動することから、昭和四五年五月一五日、原告と参加人支部、同三重労組間で、日給者を日給月給者として賃金計算期間内の所定労働日数如何に拘らず、一定の賃金額を保障することとしたが、その額は、昭和四五年当時の年平均月間所定労働日数が約二四・五日となるため、計算の簡易化等の要請により、一日の賃金額の二五日分とされ、その反面、欠勤、遅刻、早退については一日につき二五分の一の割合で差引計算する旨の協定が締結され、以後この方式により賃金カットがなされたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(2) ストに関する賃金カットについては協定がなく、月給者、日給者の区別なく、一日につき二五分の一の割合により賃金カットされ、参加人支部もこれを容認してきたことは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に(証拠略)を総合すると、原告の賃金は、基本給、家族手当、住宅手当、通勤手当その他の手当からなっていること、参加人支部は、昭和四二年五月二一日から六月二〇日までの間(所定労働日数二六日)二時間の時限ストを九日間実施したところ、当時の平均月間所定労働日数が約二五日であることを前提にして一日につき二五分の一の割合により賃金全額につきカットがなされたこと、同様に昭和四六年三月二一日から四月二〇日までの間(所定労働日数二六日)八日、同月二一日から五月二〇日までの間(所定労働日数二三日)八日、それぞれストを実施したが、いずれも一日につき二五分の一の割合で賃金全額につきカットがなされたこと、昭和四七年、四八年も同様の方式により賃金カットがなされたが、昭和四八年からは、家族手当、住宅手当はカットの対象とされず、通勤手当も全日ストの場合のみカットの対象とされ、さらに、同年暮の一時金闘争の際に、慶弔休暇については除外通告をなすことによりスト参加対象者から除外して出勤扱いにし賃金を保障することになったこと、昭和四九年三月二一日から四月二〇日までの間(所定労働日数二四日)全日スト八日、半日スト四回、指名全日スト四回、指名半日スト五回、それぞれ実施したが、いずれも一日につき二五分の一の割合により基本給について賃金カットがなされたこと、以上のように、参加人支部もストについては二五分の一方式による賃金カットを容認し、原告もその取扱いを尊重していたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。右事実によれば、ストにつき二五分の一方式で賃金カットすることは労使間の慣行となっていたものと認めるのが相当である。

(四)  五月分賃金計算期間の賃金額

(1) 本件命令書別表記載の者が、五月分賃金計算期間内に一八日間ストを実施したことは前記のとおりである。

(2) 五月二〇日の不就労の理由及びその取扱い

(ア) 本件命令書別表記載の者が五月二〇日に就労しなかったこと、右不就労につき同日までに欠勤届を提出しなかったことはいずれも当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、右不就労者の月給者、日給月給者の区別、五月二〇日の不就労についての同月二四日までの欠勤届提出の状況、不就労の理由は次のとおりであり、原告は、同月二一日から同月二四日までの間不就労理由を調査し、右調査及び欠勤届ないし事前の連絡等により、同日までに不就労理由を知ったことが認められ、(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。(編注・次頁の表参照)

〈省略〉

なお、(証拠略)によると、組合員は、スト実施中、全体集会に出席するか、欠席した場合でも一日一回組合事務所に連絡してストの状況を知ることになっていたが、五月二〇日の不就労者の中でスト不実施を知らなかった者のうちには、参加人支部からの連絡が十分でなかった者がいるけれども、その中には当人が不在のため連絡がつかなかった者、アルバイト先を知らせなかったため連絡がつかなかった者がおり、また、全体集会に出席しながら判断を誤りアルバイトに出かけた者も含まれていることが認められる。

(イ) 原告は、参加人支部の四月一五日以降の全日全面ストは無期限ストであり、解除する場合は組合員に解除の通知を徹底すべき義務があると主張し、(証拠略)中には右主張に添う部分があるが、右は(証拠略)に照らしてたやすく措信できず、また、(証拠略)によると、参加人支部は、四月二八日、二九日、同年五月一日、同月三日の各休日にピケッテングをなし、同月一〇日ころには賃金カットの補填のため遠隔地を含む各所においてアルバイトをなす体制をとり、これが同月二〇日ころまで継続したことが認められ、右事実からすると、参加人支部は、交渉に特別の進展がない以上、スト継続の意思を有し、原告もその旨認識していたことが推認されるものの、前記二1(四)認定のとおり、原告に対するスト通告は形式上あくまでも一日単位と期間が明示されているから、継続の意思により反覆継続されたとしても無期限ストに転化するわけではなく、一日の経過をもってストは当然終了するものであるから、スト解除を問題にする余地はないというべきである。もっとも、一日単位のストが長期間継続し、組合員も組合からの連絡がない以上、ストが当然継続すると認識している場合において、生産業務を停滞させる目的で、対使用者との関係においてはスト通告をなさないものの、組合員にはストを実施しない旨の連絡をせず、組合員をして不就労とさせたような場合はストとして評価し得る場合もありうるが、組合が右のような目的を有せず単に連絡不能のため(これは組合の責任の場合も組合員の責任による場合もありうる)結果的に不就労となった場合には、これをもってストと評価することはとうていできないというべきである。これを本件についてみると、参加人支部は、五月一七日に、同月二〇日にはストを実施しないことを決定し、組合員に対し、同日始業前に工場前に集合するよう指示連絡したが、必ずしも全員に連絡ができなかったこと、同月二〇日にはスト通告はもちろんしておらず、原告の要求に応じ異例のことながら就労通知まで出して就労したこと、本件命令書別表記載の者は同日就労しなかったが、個人的事情によって就労できなかった者もあり、また、組合からの連絡がなかったためストを実施しないことを知らなかった者もいるが、そのうち、組合員側の事情で組合からの連絡がつかなかった場合もあることは前記二12(四)(2)(ア)認定のとおりであるから、同日の不就労がいかなる意味でもストであったとすることはできず、通常の欠勤と認めるのが相当である。原告は、ストを解除した場合、あるいは、長期のストを打切る場合には、組合が組合員に対し解除通知ないし就労通知をなすべき義務があり、これを怠って組合員が不就労となった場合、ないし、不就労日までに欠勤届を提出しない場合は、欠勤扱いとすることはできない旨主張するが、不就労の理由がストによるものでない以上、通常の欠勤とすべきは当然であり、原告主張の事情があったとしても、これと異なる取扱いをする根拠はないから、原告の主張は採用できない。

(3) 以上(1)(2)によると、本件命令書別表記載の者は、所定労働日数一九日のうち、ストにより一八日、欠勤により一日それぞれ不就労であったところ、五月二〇日は参加人支部が二時間の時限ストを実施しているため、前記2(二)〈4〉の取扱いに従い、五・五時間については、遅刻・早退扱いとするのが相当である。しかして、前記2(三)(1)(2)の賃金カット方式により賃金を計算すると、月給者については一八日と二時間につきストとして二五分の一方式で賃金カットすることになり、日給月給者については一八日と二時間につきストとして、五・五時間につき遅刻・早退扱いによりいずれも二五分の一方式で賃金カットすることになるところ、右方式により計算された本件命令書別表記載の者の基本給額は、(証拠略)によると、右別表記載のとおりの金額となることが認められる。

(五)  原告の主張について

(1) 原告は、五月二〇日の不就労は、参加人支部のスト解除ないし就労命令の不徹底によるものであり、仮りにそうでないとしても、当日までに欠勤届を提出していない以上欠勤扱いにはできず、賃金請求権は取得しない旨主張する。しかしながら、同日の不就労を欠勤扱いとすべきことは前記2(四)(2)(イ)のとおりであり、従って、賃金計算においても欠勤の場合に定められた方法によることは当然であって、欠勤とは別個の取扱いをなす根拠は、本件全証拠によるもこれを認めることはできないから、いずれにしても原告の主張は採用できない。

(2) 原告は、本件命令書別表記載の者は、一賃金計算期間内の所定労働日に全く不就労であったから、ノーワークノーペイの原則により基本給を支給しなかったのは正当である旨主張する。しかしながら、ノーワークノーペイの原則は、すべての不就労部分に対して賃金の保障をなすことを排除するものではなく、労使間の協定、合意、慣行等により、不就労部分につき賃金保障がなされたとしても何ら不当とはいえないうえに、後記(6)(7)記載のとおり、本件二五分の一方式による賃金カットが不合理なものと認められないので、原告の主張は採用できない。

(3) 原告は、一賃金計算期間を越える不就労者に対しては、賃金を全額不支給とする旨の慣行があった旨主張する。ところで、(証拠略)を総合すると、昭和四五年五月一五日以降昭和四九年五月二五日までの間、日給月給者が病気で一賃金計算期間を越えて欠勤した者の数は、原告玉川工場においては五名、同三重工場においては六名いることが認められ、また、右各証拠中には、右の場合賃金を全く支払っていないとの記載ないし証言が存するが、他方、(証拠略)を総合すると右欠勤の場合、いずれも二賃金計算期間にわたっていること、原告と参加人支部、同三重労組との間で賃金を支給しない代わりに健康保険法による傷病手当金が支給されることを黙示的に合意されていたこと、病気以外の欠勤の例はないうえ、月給者の場合には賃金を支給していたことが認められ、右事実からすると、賃金計算期間内の所定労働日の全部につき不就労であった場合に必ず賃金を不支給とする旨の慣行があったとまで推認するのは困難であり、他にこれを認めるに足る証拠はないから、原告の主張は採用できない。

(4) 原告は、ストの場合の二五分の一方式の賃金カットは慣行として成立していないし、また、一賃金計算期間を越えるストの場合まで予定していない旨主張する。しかしながら、前記2(三)(2)認定のとおり、二五分の一方式は、昭和四二年当時の月間平均所定労働日数を基礎としてとられたもので、以来、昭和四九年四月まで、当該月の所定労働日数如何に拘らず、原告及び参加人支部はもちろん、欠勤等の場合に賃金が保障されている月給者においても右方式による賃金カットを容認し、何ら疑義を抱くことなく実施されてきたものであって、右方式による賃金カットは慣行となっていたことが明らかであるから、原告の主張は採用できない。

(5) 原告は、欠勤等の場合の二五分の一方式による賃金カット協定は、ストの場合に適用ないし準用することはできない旨主張するが、ストの場合について二五分の一方式による賃金カットが労使間の慣行となっていたものであることは前記認定のとおりであるから、原告の主張は失当である。

(6) 原告は、月間平均所定労働日数が減少した結果、二五分の一方式の賃金カットは不合理となった旨主張する。なるほど(証拠略)によると、年間平均所定労働日数は、昭和四五年度において二四・六日であったものが、昭和四九年度において玉川工場が約二二・三二日、三重工場が約二二・四二日となったことが認められるが、これは、労働時間短縮の一環としての休日の増加によるものであり、(証拠略)を総合すれば、原告には欠勤等の場合について二五分の一方式によることを是正しようとする動きは全く見受けられなかったこと、また、前記のとおり月給者については欠勤等の場合でも賃金を保障していること、昭和四九年四月までは二五分の一方式で賃金カットがなされたことが認められるので、これらを勘案するならば、二五分の一方式が変更を要するほど著しく不合理となったものということはできないから、原告の主張は採用できない。

(7) 原告は、二五分の一方式によると実質的に賃金を保障することになり労組法の経理援助に該当する旨主張し、(証拠略)中には右主張に添う部分がある。なるほど、昭和四九年度において、月間平均所定労働日数が約二二・三二日となったため、二五分の一方式により賃金カットすると、一日につき月割賃金の二二・三二日分の一と二五分の一の差額分の割合だけ実質上賃金保障することになることは原告主張のとおりであるが、もともと経理援助禁止の法理は使用者の支配介入を防止しようとするものであるから、計算の簡易化その他の合理的な事情等使用者の支配介入の意思の発現とは認められない理由により、ストによる不就労部分の賃金につき厳格に不就労部分と対応しない賃金カット方式を設定し、あるいは、従前の賃金カット方式を維持して、その結果賃金が保障されることになっても、その額が合理的な範囲内にある限り、経理援助には該当しないものというべきところ、二五分の一方式は、実施時からその計算の簡易化から平均月間所定労働日数に厳格には対応させていないものであり、加えて、前記のような賃金保障が生ずることになったのは、休日の増加による所定労働日数の減少によるものであるうえ、結果的に保障される賃金額も少額であって、労組法で禁止される経理援助に該当するものでないというべきであるから、原告の右主張は採用できない。

3  不当労働行為の成否

以上検討してきたとおり、原告が本件命令書別表記載の者に対して基本給全額を不支給(カット)としたことには、何ら合理的理由が認められないところ、原告は、五月二〇日の不就労につき、スト扱いとする根拠も全くないのに、わざわざ不就労の理由を調査し、その結果、個人的事情により欠勤した者もいたことを知りながら、一部に参加人支部の連絡不徹底により不就労者がいたことから、同日の不就労は参加人支部の責任によるものであるとして独自の見解に基づき全員につきスト扱いとしたうえ、労使間の慣行となっていたストについての賃金カット方式を無視した計算方法をなし、また、同日の就労者についても当初は右同様の計算方法を考えたことなどの点を総合して考慮すると、原告が参加人支部のストに対して不利益を与えようとする意図のあったことは明白であるから、前記原告の行為は、労組法七条一号、三号に該当する不当労働行為であるというべきである。

4  組合員資格喪失者に対する救済利益

(一)  (証拠略)を総合すると、本件命令書別表記載の者のうち、松浦、簾かつ子、駒木根、阿部、水野、鈴木、川上、吉田、外門は昭和五〇年二月二八日までに、永井、磯田、皆川は本件命令後、いずれも本件で係争中の賃金について原告に対し何ら意思表示することなく退職し、また、吉福、小川は同年三月一一日までに右同様の意思表示なく配転となった結果、参加人支部組合員資格を喪失したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  ところで、不利益取扱いの本質も団結権侵害にあり、ただ使用者の侵害の態様が個々の労働者に対する不利益取扱いという形をとるため、その救済の方法としては、原則として個々の労働者の不利益の回復を通じて団結権侵害の回復を図る点に特質があるから、侵害状態が残存し、その回復が可能な限り被救済利益は失なわれないというべきである。しかしながら、組合員が任意に組合を脱退するなどして組合員たる資格を喪失した場合においては、その者の不利益を除去しても組合自体としてはその利益侵害の回復に寄与するものがあるということはできないから、特段の事情のない限り、組合員資格喪失者に対し賃金支払を命ずることは許されないものと解するのが相当である。これを本件についてみると、前記(一)認定のとおり、永井、磯田、皆川を除く前記松浦ほか一〇名の者は本件命令前にいずれも任意に参加人支部組合員資格を喪失しているから、この者に対し賃金支払を命ずることは許されないものというべきである。参加人らは、右の者らについて、原告に代わって参加人支部が賃金相当額を支払っており、原告から賃金の支払を受けた時は、直接参加人支部が受領する権限を与えられている旨主張し、(証拠略)によれば、右主張どおりの事実が認められるが、他方、右各証拠に弁論の全趣旨を総合すれば、参加人支部が右の者らに対し賃金相当額の支払をなした時期は昭和五〇年一二月ころであることが認められ、これによれば、組合員資格を喪失した際には、本件係争賃金について何ら意思表示をなしていないものであり、組合員資格を有している間に組合から賃金の補填を受けているような場合ではないから、右事実をもって前記特段の事情とするを得ず、本件全証拠によっても他に右特段の事情を認めることができないから、参加人らの主張は採用できない。

(三)  したがって、被告の本件命令中、組合員資格を喪失した前記松浦ほか一〇名に、賃金相当額及びこれに対する年五分相当額の加算支払を命じた部分は違法であって取消を免れない。なお、永井、磯田、皆川については、本件命令後に組合員資格を喪失したものであるところ、行政処分の違法判断の基準時は処分時と解されるから、右の者らについて賃金支払を命じたことは取消すべき違法事由とはならない。

三  菅元紀に対する懲戒処分について

1  経過

昭和四九年四月一六日の団交が午後一時半ころから開催され、原告が基本給二万一六九一円の第三次回答をなしたが、参加人支部はこれを低額であるとして納得せず即座に拒否したこと、原告が膠着状態の団交を打切りたい旨申し入れるなどしたが、深夜に至っても交渉は全く進展しなかったこと、同月一七日午前五時ころ、吉中工場長が疲れたから団交を終了するとして出口に向かって歩き出したこと、菅元紀が出口のドアを背にして腕を後ろ手に組むなどして退出を妨害したこと、同工場長は、気分が悪くなって椅子に坐り込み、その後救急車で病院に運び込まれ診察を受けたこと、同月一八日、原告は、吉中工場長名で「会社より交渉終了を宣言して退席しようとドアノブに手をかけた処傍聴者である菅元紀がドアの前に立ちふさがり身体で押し返し退出を妨害した。このことは一種の暴力行為で許されるものでなく……厳重な警告をすると共にその責任を追求する。」との警告書を菅元紀に交付していること、同年六月一九日、菅元紀に対し三日間の停職処分(以下本件懲戒処分という。)をなしたことは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると次の事実を認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  昭和四六年四月一六日午後一時半ころから、玉川工場第三応接室において、原告側から吉中恒三工場長以下同工場の部課長計九名、参加人支部側から高橋委員長ほか一一名の各交渉委員が出席のうえ(このほか二〇数名の組合員が交渉委員席の後部席において傍聴)テーブルをはさみ吉中工場長と高橋委員長をまん中に双方が相対する形式で団交が開催された。冒頭、原告側から基本給二万一六九一円アップの第三次回答がなされたが、参加人支部は直ちに低額回答としてこれを拒否する意向を表明し、吉中工場長が同日は途中で帰るようなことをせず見通しがつくまで団交を継続する旨発言するなどして回答に対する十分な検討を求めたため、一旦午後三時四五分ころ休憩に入った。午後五時すぎ、団交が再開されたが、休憩中、待機していた組合員に第三次回答をはかり、拒否の結論を得ていた参加人支部は、その旨を告げ、即時再回答を求めたため、原告の業績、同業他社の例等の理由を掲げて評価し得る回答であるとする原告側と議論が応酬されたものの、平行線を辿り、午後六時すぎには、原告側から団交打切りと次回団交期日の設定提案がなされたが、参加人支部はこれを拒否し、基本給三万六〇〇〇円アップの再回答か、第三次回答の根拠の説明を要求したため、再度、午後六時半ころ休憩に入った。

(二)  午後八時半すぎ、団交が再開されたものの、原告側が第三次回答については再考の余地はないとして再回答を拒み、これに対し参加人支部があくまでも納得のいく説明と再回答を要求したところから、主張が対立したまま双方とも三、四〇分間にわたって沈黙する状態となった。かような進展の見込みのない事態に対し、吉中工場長は、疲労していたうえ、翌日には法事に出席することが予定されていたことから、その旨告げて団交打切りを示唆したが、参加人支部の交渉委員から私的な用事は金銭で解決可能と反論され、さらにはドクターストップまで団交を継続するなどとの発言があったため、これをめぐって一時紛糾するに至った。そして、このころから、参加人支部の交渉委員が後部座席にいる傍聴者と交渉委員役を交替し壁に寄りかかって眠り、再度交渉委員として復帰するなど従前の団交にはみられなかった状態になると共に、傍聴している組合員から野次が飛びかいこれに対し原告側交渉委員が数度にわたって制止し、さらに、参加人支部交渉委員複数が同時に発言するなどしたため、騒然たる雰囲気を呈するに至った。そのうち、午後一〇時二五分ころ、連日の折衝や泊り込みなどで疲労の度を増していた原告側交渉委員からの休憩提案によって休憩に入ったが、原告側交渉委員としてほとんどの発言をしていた吉中工場長の疲労の度合は特に強く、せき込んだりする状態であった。午後一一時一五分ころ、団交を再開したものの進展はなく、参加人支部側から現時点までの交渉経過の総括、第三次回答の位置付け、交渉進展のための条件の設定等について一応の結論を出すよう要求があり、第三次回答が低額回答であることの文書による確認ないし増額再回答を迫られたが、原告側がこれを拒否して、歩み寄りがみられず、翌一七日零時すぎには、原告側の再度の団交打切り提案に対して、参加人支部側交渉委員から今日も帰さないなどと反論されるなどして、進展がないまま時間が経過し、午前三時三〇分から一五分の休憩を経て、さらに団交が継続されたが、進展の可能性は全くみられなかった。

(三)  同日午前五時すぎころ、長時間の団交にも拘らず交渉の進展の見込みがないうえ、極度に疲労し気分も悪くなっていた吉中工場長は、その旨告げて団交終了を要望し、通例に従い参加人支部の交渉委員席を見回したが、格別の反対の意思表示もなかったところから、椅子から立ち上がり、お辞儀をして席を離れ、テーブルを隔てて右斜め方向にある出口のドアに向かい歩み始めたところ、これを見て、参加人支部組合員らも立ち上がり、退場させるななどとの発言がなされる中で、前日午後八時半すぎころから交渉委員席に坐っていた菅元紀は、吉中工場長が立ち上がるのとほぼ同時に立ち上がって、出口のドアから約二メートル手前で吉中工場長の前に立ちふさがり、「団交にけじめをつけるように」などと叫んで、肘をひろげて体を押しつけ、同工場長が体躯の大きい菅元紀の横をくぐり抜けようと右へ寄ったり左へ寄ったりするのに対して、その都度身体を左右に寄せて押し返すなどし、その間、原告側交渉委員から団交は終了したから退場を妨害するなとの警告もあったが、これも聞き入れず、約一〇分間にわたって進路を妨害した。そして、出口のドアを背にして両手を後にしてドアの把手をつかみ足を広げいわゆる仁王立ちとなった菅元紀は、「どきなさい」「君に責任をとってもらう」といいながらドアの把手に手をかけて引こうとした同工場長に対して、腕と腰でその手をふり払い、右肘、脇腹、腰等で体を押し戻すなどして同工場長の退出を妨害し続けた。この状態を約一〇分間継続された吉中工場長は、前記の疲労に心因的要素も加わり、著しく気持が悪くなって、傍にあった椅子に頭を膝につけるような形で坐り込んでしまった。一方、吉中工場長に続いて席を立った原告側交渉委員も参加人支部の組合員一〇数名にこもごも進路をはばまれたうえ、数人に取り囲まれて抗議されるなどし、室内は騒然たる状態となっていたものの、吉中工場長が椅子に坐り込んだのを見て、一瞬静かになりこれを機に、原告側交渉委員の塩谷部長が強引に出口のドアを開け、ドア付近にいた参加人支部の高橋委員長に対し参加人支部組合員による退出妨害と抗議行為を中止させるよう要求し、高橋委員長もこれを了承して一緒に室内にもどり、同委員長の指示でほとんどの者が席に着いて、五分間ほど話をしたうえで、解散となった。

(四)  その間、吉中工場長は、原告側交渉委員二名に両脇を抱えられて工場長室に連れて行かれ、同所で机を並べた上に二、三〇分間横になり、その後救急車で総合高津中央病院に運ばれて診察を受けたところ、病名は高血圧症で血圧が上一九〇ミリ、下一二〇ミリもあったため降圧剤の注射を受け、血圧が下がり気味となった午前七時ころ自宅にもどり、同日中静養した。そして、翌一八日、黒須病院で診察を受けたところ、血圧は下がっており、気管支炎及び腸カタルで五日間の休養加療を要すると診断され、同月二二日に出勤するまで自宅で静養した。

(五)  原告は、同月一八日、吉中工場長名で菅元紀に対し警告書を交付し、同時に参加人支部に対しても前記のような異常な団交には応じない旨の警告書を交付した。その後、原告は、春闘問題で被告にあっせん申請をなす際、菅元紀の責任問題も含ませようとしたところ、被告からあっせんに支障が生じるため別個に就業規則に照らして処置するよう教示されたため、懲戒処分の審議機関である部課長会議を数回開催し、菅元紀の上司である山崎係長から菅の日頃の勤務成績の報告を受けるなどして検討した結果、菅元紀の行為は重大であり、且つ、同人の勤務成績も不良であるため、停職三日間の懲戒処分(但し勤務成績は明示せず)が相当との結論に達し、原告と取引関係にある保証人である菅元紀の叔父を原告本社に呼んでその旨告げた後、同年六月一八日、玉川工場第三応接室において、吉中工場長が菅元紀に対し、前記四月一七日の行為を確認したうえ、懲戒処分通知書を交付したが、その際、菅元紀は、前日、叔父から素直に懲戒処分を受けるようにといわれていたこともあり、特に抗議することもなく右通知書を受領した。

(六)  吉中工場長は、本態性高血圧症であったが、疲労やストレスが蓄積された時以外は特に治療を要するものではなく、昭和四二年に玉川工場長に赴任して以来ほとんどの団交に責任者として出席し、事務折衝等で数回徹夜したことがあったものの、身体の具合が悪くなるようなことはなかった。

2  本件懲戒処分についての不当労働行為の成否

(一)  (証拠略)によると、就業規則六三条に懲戒処分の規定があり、懲戒処分は一譴責、二減給、三昇給停止、四停職、五役位剥奪、六諭示退職、七懲戒解雇の七種類であり、その一または二以上を併科するものとされ、停職は七日以内の出勤を停止し、この間給与を支給しないとするものであること、六五条には「左の各号の一に該当するときは、懲戒解雇に処す。但し、情状によっては停職又は減給若しくは役位剥奪に止めることがある。……二他人に対し暴力脅迫を加え、又はその業務を妨げたとき。」、六四条には「左の各号の一に該当するときは、減給、昇給停止、役位剥奪又は停職に処する。但し、情状によっては譴責にとどめることがある。(一号から一三号まで非違行為の記載がある)」とそれぞれ規定されていることが認められる。しかして、前記1(三)認定の菅元紀の行為は、吉中工場長に対する不法な有形力の行使であって、就業規則六五条二号の暴行に該当するものというべきであり、また、同工場長の持病の内容、程度、椅子に坐り込むまでの状況、診療の経過からすると、長時間の団交による疲労により血圧が上昇し気分が悪くなっていたところに、菅元紀の行為が決定的に作用して著しく症状を悪化させて椅子に坐り込ませ、安静治療を要せしめたことも明らかであり、その結果は決して軽微なものとはいえない。そして、前記1認定事実によれば、四月一七日午前五時の時点において、交渉の進展はなく、結論の出ることを期待し得なかったことは明らかであり、加えて、休憩をとったとはいえ徹夜にわたる長時間の交渉により各交渉員の疲労も相当増していたものと認められるので、右時点における団交打切りは客観的にみて相当であり、これに対して、もともと傍聴人であった菅元紀が、右のような状況のもとで、あえて前記1(三)認定の方法により吉中工場長の退出を妨害した行為は社会通念に照らしてとうてい許されず、正当な組合活動の範囲とはいい得ないものと評価せざるを得ない。参加人らは、菅元紀の右行為は、吉中工場長が以前団交を拒否して工場長室にとじ込もったことがあったため、団交にけじめをつけるようになした説得行為にすぎない旨主張し、(人証略)の証言によれば、吉中工場長は昭和四九年三月一八日に参加人支部側の交渉人員数をめぐり団交を拒否して工場長室にとじ込もり、同月二〇日にも団交の途中参加人支部側の発言に刺激されて退席したことのあることが認められるが、前記1認定のとおり、同年四月一六日午後一時半からの団交においては、吉中工場長は見通しがつくまで団交を継続するとして、同日午後六時ころにはすでに交渉が膠着状態になったにもかかわらず、翌一七日午前五時まで団交を継続していたものであり、少なくとも右両日に関する限り不誠実な交渉態度をとったとはいえず、前記のとおり団交の打切りは客観的にみて止むを得ないものと認めるのが相当であるから、前記の団交拒否あるいは団交途中での退席とは全く事情を異にし、また、菅元紀の行為も説得の程度をはるかに超えた違法な暴行に該当するものであるから、参加人らの主張は採用できない。なお、なるほど、前記1認定のとおり吉中工場長は、本態性高血圧症であったが、通常の団交においては全く支障がなかったものであるところ、四月一六日から翌一七日にかけての団交は、従前の団交と異った状況でしかも徹夜で長時間継続され、その結果疲労が増大し気分が悪くなっていたところに、菅元紀から暴行を受けて、安静治療を余儀なくされたもので、通常の団交なら、かような事態は起こらなかったものと推認されるので、吉中工場長を交渉委員として出席させたことにつき原告に責められるべき点はないというべきである。以上によれば、菅元紀の行為は就業規則六五条二号に該当するので、その余の懲戒事由に該当するか否か検討するまでもなく、右行為の態様、結果、懲戒処分の種類、程度、その審議経過等を総合すれば、同人を三日間の停職に処した本件懲戒処分は客観的に相当であるというべきである。

(二)  そこで進んで本件懲戒処分が不当労働行為に該当するか否か検討するに、(証拠略)中には、本件懲戒処分が不当労働行為であるとの部分があるが、(証拠略)によれば、菅元紀は参加人支部の組合員ではあるものの組合役員等の経験はなく、特に際立った活動をしてはいなかったことが認められ、また前記のとおり、菅元紀の行為が正当な組合活動とは認められず、結局本件懲戒処分が客観的に相当であり、本件懲戒処分が春闘の終了後になされていること等に照らすと、右各証拠はたやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。してみれば、本件命令中、本件懲戒処分を不当労働行為として処分の撤回、賃金相当額およびこれに対する年五分相当額の加算支払いを命じた部分、並びに命令主文第五項中菅元紀に関する部分は違法であって取消を免れない。

四  就業時間内組合活動およびストライキに対する賃金カット方式の変更

1  玉川工場

原告は、参加人支部に対し、労使間の交渉、原告の要請による原告提案についての検討のための集会への出席の場合には、賃金の支給および就業時間内組合活動を認め、右の場合以外には原則としてこれらを認めなかったこと、昭和四九年二月一八日、原告は参加人支部に対し、八項目にわたる通告をなしたこと、同年三月二五日に原告と参加人支部間で八項目通告の内容に関しては今後話し合いも持ち、結論がでるまでは従来通りの取扱いとする旨の約束事と題する文書が取り交わされたこと、原告は同年七月から就業時間内組合活動につき一日基本給月額の二五分の一の割合で賃金カットをなしたこと、昭和五〇年三月二五日付文書で参加人支部に対し「今後(三月二一日以降)就業時間内の組合活動およびストライキに対する賃金カットを該当月(賃金月)の所定労働日数の割合で控除します。」との通知をなし、同年四月分以降の賃金につき右方式により賃金カットをなしたことは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に(証拠略)を総合すると次の事実を認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  就業規則二五条には、就業時間中の組合活動等で会社の承認を受けずに就業しないときは、欠勤、遅刻、私用外出として取り扱う旨規定されており、前記のとおり、原告において、労使間の交渉、原告の要請による原告提案についての検討のための集会への各出席の場合以外は賃金の支給および就業時間内組合活動を認めていなかったため、参加人支部組合員は、欠勤(早退・遅刻)、休暇届には就業時間内組合活動とは記載せずに、年次有給休暇の行使あるいは欠勤、早退、私用外出として実質的に就業時間内組合活動をしていた。しかし、欠勤、遅刻、早退、私用外出の場合には、月給者については賃金カットがなされないものの査定には影響するところから、実質的に就業時間内組合活動は制限されざるを得ず、そのため、参加人組合としては、賃金カットはやむを得ないものとしても査定に影響させない形で就業時間内組合活動を認めさせる必要性を痛感していたところ、昭和四九年一月一日に参加人全金に加入したことを契機に原告に対し就業時間内組合活動の許否につき話し合いの機会を設定するよう申し入れたがその機会は何ら設けられずに、かえって、同月二八日、原告は、参加人支部に対し、就業時間内の組合活動を認めず、組合活動のための欠勤、遅刻、早退は事前に認めた以外は賃金カットすること、その他、外来者の人退場、人数、立入場所、職場集会のための施設利用、ビラ配布場所についての規制等を内容とする八項目通告をなすに至った。これに対し、参加人支部は、少なくとも月給者については就業時間内組合活動を理由とする欠勤等であっても賃金カットはできないところから、従前の取扱いに反するものとして、その撤回を求め、全国金属川崎地区協議会のメンバーと共に原告に対し団交申し入れをなし、同月二五日に開かれた団交において、八項目の通告内容について話し合いを行ってゆくこと、結論がでるまでは従来通りとすること、との合意がなされて約束事と題する文書が作成され、以後、就業時間内組合活動をなす際には、一般の届出用紙に時間内組合活動と記載して届出をなすことになった。

(二)  しかるに、同年七月、月給者である参加人支部の高橋委員長ほか一名が、前記ストによる賃金カット問題についての救済申立事件の調査期日に被告に出頭するため、その旨記載した届出をなし早退したところ、原告から二五分の一方式で基本給をカットされると共に、皆勤手当を全額カットされたため、同月末、参加人支部は、原告に抗議すると共に、就業時間内組合活動を認め、その条件について取り決めをするならば、右措置につき不問にする旨提案したところ、原告の藤井総務課長から取り決めをなしたい旨の意思が表明されたため、基本給は就業時間内組合活動一日につき基本給月額の二五分の一の割合で月給者、日給月給者ともカットすること、家族手当、住宅手当は対象としないが、皆勤手当は就業時間内組合活動の時間、日数にかかわりなく全額カットすること、査定等には影響させない(出勤扱いとする)との口頭の取り決めがなされた。なお、その際、就業時間内組合活動の人員、時間、回数、対象者の範囲については何ら取り決めはなされず、また、前記の取り決めは文書化されなかった。

(三)  同年三月以降の就業時間内組合活動は、同月が延一一人(人員数一〇人。以下括弧内は人員数を表わす。)延時間七時間四五分、四月、五月はなく、六月は一人(一人)一時間、七月は七人(五人)七時間四五分、八月は四人(三人)一八時間四五分、九月は一四人(八人)七二時間四五分、一〇月は三人(三人)一一時間一五分、一一月は一三人(九人)四七時間、一二月は三一人(一二人)一四四時間一五分、昭和五〇年一月は一六人(九人)七六時間四五分、同年二月は一六人(六人)七八時間一五分、同年三月は三一人(一四人)九〇時間であり、一般の組合員もまれに含まれることがあったがほとんど参加人支部の三役と執行委員がその対象であり、前記取り決め後は、二五分の一方式により賃金カットがなされた。右のような事情から、昭和五〇年に入り、原告は、参加人支部に対し団交の席上や事務折衝において、就業時間内組合活動の回数が多く、三役以外の組合員も対象者となっていることを指摘して自粛を申し入れていたが、その都度、参加人支部から必要性の判断は参加人支部が行う旨反論されていたところ、同年三月二四日、藤井総務課長は、参加人支部に対し電話で前同様の指摘をなすと共に、賃金カット方式の変更を示唆し同月二五日には文書で今後(三月二一日以降)就業時間内の組合活動およびストに対する賃金カットを該当月の所定労働日数の割合で控除する旨の通知書を参加人支部に交付し、そのとおり実施するに至った。

(四)  同年四月以降の所定労働日数は、同月が二三日、五月が二一日、六月が二六日、七月が二二日、八月、九月が各二三日、一〇月が二二日、一一月、一二月が各二三日、昭和五一年一月が一九日、二月が二五日、三月が二二日であって、変更された賃金カット方式は、二五分の一方式より労働者に不利益となるものであった。

2  三重工場

原告と参加人三重労組間のストに関する賃金カットについては協定がなく、従来から月給者、日給月給者の区別なく二五分の一方式により賃金カットがなされ、参加人三重労組もこれを容認してきたこと、原告は、参加人三重労組に対し、労使間の交渉、原告の要請による原告の提案についての検討のための集会への各出席、労働協約一一条所定の場合には賃金の支給および就業時間内組合活動を認めていたが右以外の場合にはこれらを認めなかったこと、原告が、昭和五〇年一月以降、参加人三重労組に対し、就業時間内組合活動について二五分の一方式で賃金カットをなしたこと、同年四月一日、参加人三重労組に対し、就業時間内組合活動およびストに対する賃金カットを該当月の所定労働日数で控除する旨口頭で通知し、同月二四日にも同様の通知をなしたこと、労働協約には、労働条件改訂は団交事項であり、協約違反につき紛議を生じた場合は速やかに団交することと定められていることは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると次の事実を認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  参加人三重労組は、昭和四五年に全日ストを一日、昭和四八年に時限ストを四日、昭和四九年に時限ストを八日、全日ストを二日実施したが、いずれの場合においても、ストを実施する前の原告との事前の取り決めで賃金カットについては欠勤扱いとすること、すなわち二五分の一方式によることを確認し、いずれも右方式により賃金カットがなされた。

(二)  参加人三重労組員は、必要あるときは年次有給休暇を行使して就業時間内組合活動をしていたが、救済を申立てた東京都地方労働委員会に出頭することや労働金庫関係の用務のため就業時間内組合活動の必要性が増したことから、昭和五〇年一月八日、参加人三重労組の今北委員長は、同工場の奥村工場長に対し、皆勤手当はカットしない、査定には影響させない(出勤扱い)との条件により就業時間内組合活動を認めるよう申し入れたところ、奥村工場長から三重工場においても玉川工場で実施される例に依拠して、期限その他の条件を何ら付することなく就業時間内組合活動を認めるとの回答があり、同工場長と今北委員長との間でその旨の合意がなされた。なお、就業時間内組合活動は、同月が六件、同年二月が二件、同年三月が一〇件であったが、いずれも二五分の一方式により賃金カットがなされた。

(三)  しかるに、同年四月一日、奥村工場長は参加人三重労組の委員長、副委員長、書記長の三役を呼び、就業時間内組合活動およびストの場合の賃金カット方式につき時間外勤務手当の計算方法に対応させ該当月の所定労働日数を基礎(分母)として実施する旨を通告したため、参加人三重労組の三役は、右方式では控除の基礎たる分母が小さくなり賃金カット額が増加する結果、就業時間内組合活動に支障をきたすと反対の意思表示をなし、右提案の撤回と、従前に合意したとおりの二五分の一方式によることを求めた。その後、同月二四日午前中、奥村工場長から再度前同様の通告を受けたため、参加人三重労組は執行委員会で検討した結果、カット方式の変更は従来の慣行を一方的に無視し、カット率を増大させて組合の活動を弱体化させようとするものであるから不当であり、断固提案を拒否し、原告に対し、その撤回と二五分の一方式の協定化を求めることが決定され、同日午後、今北委員長はその旨記載した要求書を持参して、奥村工場長に口頭で団交申し入れをなしたが、同工場長に拒否された。そして、同月二五日の給与支払日に、同月一日に遡及させて変更された賃金カット方式に従って賃金カットが実施された。

(四)  ところで、労働協約八三条には労働条件の改訂等は団交の対象とされ、七七条には協約の解釈等の不平処理以外の事項について原告と参加人三重労組との間に紛議が生じた場合はすみやかに団交をせねばならないと規定されており、従前、これに従ってすべて労使の話し合いにより紛争が解決されており、参加人三重労組の同意を得ない措置を一方的に実施する例はなかったが、賃金カット方式の変更については、原告の姿勢は極めて頑なで、団交による解決を期待し得る状況にはなかった。

(五)  昭和五〇年五月の所定労働日数は二一日、六月が二六日、七月、八月が各二二日、九月が二三日、一〇月、一一月が各二二日、一二月が二三日、昭和五一年一月が一九日、二月が二五日、三月が二二日であり、変更された賃金カット方式は、二五分の一方式より労働者に不利益となるものであった。

3  二五分の一方式により賃金カットの労使間の合意および慣行の成立

ストに際し二五分の一方式による賃金カットが労使間の慣行となっていたことは、玉川工場においては、前記二2(三)(2)のとおりであり、三重工場においても、四2(一)(二)の事実から同様であると認められ、また、就業時間内組合活動につき二五分の一方式による賃金カットは、前記1、2の事実によれば、従前原則として就業時間内組合活動は認められていなかったものが、一方で月給者、日給月給者を問わず一律に賃金カットすることとし、反面、査定には影響させないとの条件で他に何らの期限、条件も付されることなく労使間に明確な合意がなされ、これに従って実施されてきたものであることが認められるから、いずれの場合においても、特段の合理的事情がない限り、右賃金カット方式を労働者に不利益に変更することは許されないものというべきである。

4  賃金カット方式の変更についての原告の主張について

(一)  原告のストの場合の賃金カット方式の変更に関する主張については、前記二2(五)で判断したとおり、すべて理由がなく、このことは就業時間内組合活動の場合についても同様妥当するものと解される。もっとも、就業時間内組合活動についての二五分の一方式による賃金カットが経理援助に該当するか否かは、休日の増加により結果的に賃金を保障することになったストの場合と異る面があることは確かであるが、前記認定の就業時間内組合活動を認めるに至った経緯(労使双方とも経理援助となる旨の認識はなかったものと推認される)、右方式による賃金保障額が極めて僅かであることを考慮すれば、労組法で禁止される経理援助には該当しないというべきである。また、原告は、就業時間内組合活動の許否は使用者の自由裁量によると主張するが、一旦合意した賃金カット方式につき特段の合理的事情がないのにこれを変更することはできないものと解されるから、原告の主張は採用しない。

(二)  原告は、玉川工場においては、就業時間内組合活動の規模等を拡大した場合は賃金カット方式を変更する旨の条件が付せられていたと主張し、(人証略)中にはこれに添う部分があるが、右は(人証略)に照らしてたやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はなく、かえって、かような条件が付せられていなかったことは前記認定のとおりであるから、原告の主張は採用できない。

(三)  原告は、二五分の一方式による賃金カットは、昭和四九年七月時点における極めて限定された就業時間内組合活動の実態を念頭において設定された恩恵的なものであるところ、事情が変更して恩恵的措置を与える基盤がなくなったと主張するが、前記のとおり、就業時間内組合活動を認める契機となった賃金カットも二五分の一方式でなされており、これが恩恵的とはいえず、また、なるほど前記認定のとおり、昭和四九年三月ないし七月に比較し、同年一一月以降は就業時間内組合活動の規模が増大しているが、(証拠略)を総合すると、同年七月以前は就業時間内組合活動は認められていなかったうえ、同年三月ないし五月は春闘中でストの継続ないし指名ストを実施したのでその規模が小さかったが、同年一一月以降は年末一時金闘争と春闘準備のためその規模が増大したものであることが認められ、右事実によると、通常の月における就業時間内組合活動の規模が同年一一月以降のそれ以上に達するものとは認め難く、さらに、前記認定の就業時間内組合活動を認めた経緯に照らすと、人数、時間、対象者については、参加人支部の判断にゆだね、原告もこれによる企業運営に対する影響も見通したうえで受け入れていたものであることが推認されるから、単に規模が増大されたからといって、それが直ちに賃金カット方式の変更を正当化ならしめるものでなく、本件全証拠によっても二五分の一方式による賃金カットを維持することが原告にとって耐えがたいほど不合理となったとの事実を認めることはできないから、原告の主張は採用できない。

(四)  原告は就業時間内組合活動についての二五分の一方式による賃金カットは、文書化されていないし、玉川工場、三重工場のいずれも実施された期間は短かく、件数も少ないうえ、原告からの自粛申し入れもあって暫定的なものであったと主張する。しかしながら、前記認定のとおり、労使間に明確に合意のあったことは明らかであり、その他就業時間内組合活動を認めるに至った経緯、その後の実情等からみて、とうてい暫定的なものであったということはできないから、原告の主張は採用できない。

(五)  原告は、欠勤等の場合の二五分の一方式による賃金カットの協定は就業時間内組合活動の場合を予定していないし、また、ストと就業時間内組合活動とは性質が異なるから、ストの場合の賃金カット方式を就業時間内組合活動の場合に適用ないし準用することはできない旨主張するが、前記認定のとおり、労使間の合意に基づく賃金カット方式が成立しているのであるから、右主張は採用できない。

(六)  原告は、賃金カット方式の変更は団交の対象ではないうえ、緊急の必要性があってやむを得ない措置であったと主張する。しかしながら、賃金カット方式の変更が団交の対象となることは明らかであり、前掲関係証拠によれば、玉川工場において、時間内組合活動の場合につき、交渉により合意し得る客観的条件がなかったとも、また、団交をなし得ないほどの緊急性があったとも認め難いのに、原告は十分な説明をすることなく一方的に労働者に不利な賃金カット方式に変更したものであり、また、三重工場においては、従前ほとんどの紛争につき労使間の話し合いによって解決してきた例に反して団交を拒否したものであることが認められるので、その不当なことは明白である。原告は、三重工場には賃金カット方式の変更についての事前協議ないし同意約款は存在しないから、団交をしなかったからといって右協約の違反とはならない旨主張する。なるほど、主張の事前協議ないし同意約款は存在しないものの、前記認定のとおり、労働協約七七条には苦情処理事項以外につき紛議が生じた場合は速やかに団交することと規定されており、参加人三重労組から賃金カット方式の変更について反対の意向が表明され、紛議が生じて団交申し入れがなされたのであるから、団交を拒否したのは、右協約に違反するものといわなければならないので、原告の主張は採用できない。

5  不当労働行為の成否

前記1ないし4のとおり、就業時間内組合活動およびストの場合の賃金カット方式の変更は、労働者にとって不利益であるにもかかわらず、首肯しうる合理的理由がないうえに、その変更手続も従前の労使慣行、労働協約に違反して参加人支部、同三重労組との話し合いもないまま一方的になされたものであることを考え合わせれば、右両組合の活動を規制しようとの意図から出たものと認めざるを得ないので、不当労働行為に該当するものというべきである。

6  なお、本件命令は主文第三項(2)において、原告に対し、昭和五〇年三月に遡及して、就業時間内組合活動およびストライキに対する賃金カットを一日につき基本給月額の二五分の一の割合で計算した賃金と既に支払済賃金額との差額相当額を参加人支部、同三重労組の該当者に支払うことを命じているが、弁論の全趣旨によれば、昭和五一年三月一九日の本件命令時までに原告を退職するなどして参加人支部、同三重労組の組合員資格を喪失した者がいることが認められるところ、前記二4で判断したとおり、右の組合員資格を喪失した者には、特段の事情がない限り、賃金支払を命ずることは許されないのであり、本件全証拠によっても右特段の事情は認められないから、右組合員資格喪失者にまで賃金支払を命じた部分は違法として取消を免れない。

五  以上によれば、原告の本訴請求は主文第一項の限度で理由があり、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九二条、九四条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 瀧田薫 裁判官 吉崎直弥 裁判官飯渕進は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 瀧田薫)

別紙 命令書

申立人 総評全国金属労働組合神奈川地方支部

申立人 総評全国金属労働組合神奈川地方本部旭ダイヤモンド支部

申立人 旭ダイヤモンド三重工場労働組合

被申立人 旭ダイヤモンド工業株式会社

主文

1 被申立人は、申立人総評全国金属労働組合神奈川地方本部旭ダイヤモンド支部所属組合員又は昭和四九年五月二〇日当時組合員であった、別表記載の二五名に対して各金額を支払わなければならない。

2 被申立人は、申立人総評全国金属労働組合旭ダイヤモンド支部の組合員管元紀に対してなした、昭和四九年六月一九日付三日間の停職処分を撤回すると共に同人が受けた賃金カット相当額を支払わなければならない。

3 被申立人は、申立人総評全国金属労働組合神奈川地方本部旭ダイヤモンド支部及び旭ダイヤモンド三重工場労働組合に対して、それぞれ昭和五〇年三月二五日・同年四月一日になした、賃金カットに関する通告を撤回すると共に次の措置を講じなければならない。

(1) 就業時間内の組合活動及びストライキによる不就労に対する賃金カットは一日につき基本給月額の二五分の一の割合で実施すること。

(2) 昭和五〇年三月に遡及して、上記計算方法による賃金額と既に支払済賃金額との差額相当額を該当者に支払うこと。

4 被申立人は、第1項・第2項及び第3項の金額に対して、それぞれ年五分相当額を加算して支払わなければならない。

5 被申立人は、本命令交付の日から一週間以内に下記誓約書を申立人総評全国金属労働組合神奈川地方本部旭ダイヤモンド支部に手交すると共に縦一メートル・横二メートルの白色木板に鮮明に墨書し、玉川工場正面玄関附近の見易い場所に一週間にわたり掲示しなければならない。

別表

〈省略〉

誓約書

貴組合の組合員斉藤正二氏ほか二四名に対して、昭和四九年五月分賃金から不当に多額の賃金カットをしたこと、また、組合員菅元紀氏に対する昭和四九年六月一九日付でなした三日間の停職処分は、いずれも神奈川県地方労働委員会の認定したとおり、労働組合法第七条第一号・第三号に該当する不当労働行為であったことを認め、これを撤回し、早急に是正措置を講ずるとともに今後かかる不当労働行為を一切行わないことを誓約します。

昭和 年 月 日

総評全国金属労働組合神奈川地方本部旭ダイヤモンド支部

執行委員長 高橋勝殿

旭ダイヤモンド工業株式会社

取締役社長 田中有久

6 被申立人は、第1項から第5項までの履行状況につき、当委員会に報告しなければならない。

理由

第1 認定した事実

1 当事者

(1) 被申立人旭ダイヤモンド工業株式会社(以下「会社」という。)は、肩書地(略)に本社を置き、川崎市・八王子市・上野市に工場を有するほか、全国九か所に支店・営業所等があり、従業員約七五〇名をもって、ダイヤモンド工具の製造・販売を業とする株式会社である。

(2) 申立人総評全国金属労働組合神奈川地方本部は、神奈川県内の金属機械産業に従事する労働者で組織する労働組合で、肩書地(略)に事務所を有し、六〇支部・分会・組合員約一三、〇〇〇名を擁している。

(3) 申立人総評全国金属労働組合神奈川地方本部旭ダイヤモンド支部(以下「組合」という。)は、会社の玉川工場及び八王子工場の従業員をもって組織する労働組合で、肩書地(略)に事務所を有し、組合員約一九〇名を擁している。

(4) 申立人旭ダイヤモンド三重工場労働組合(以下「三重労組」という。)は、会社三重工場の従業員をもって組織する労働組合で、肩書地(略)に事務所を有し、組合員約二八〇名を擁している。

2 本件申立てに至る経過

昭和四九年の春闘で、組合は、三月一一日組合員一人平均三九、〇〇〇円の賃上げその他諸要求を会社に対してなした。

これに対し会社は、三月三〇日、基本給一八、三四四円の第一次回答を、また、四月四日には二〇、〇六九円の第二次回答をした。

組合は、低額回答で問題にならぬとして、四月一五日(月)から全日・全面ストライキに入った。そして、翌一六日に二一、六九一円、二六日に二三、三三九円・五月二日に二五、一三円一・さらに一四日には二、〇〇〇円上積みの第六次回答が出たが、一七日の団交で会社が二、〇〇〇円は一時金であると言ったため、組合は、これを不満として拒否、また戦術面では全日ストから時限ストに切替えて、五月二〇日から五月二四日まで毎日午後二時三〇分から終業時まで二時間の時限ストを実施し、この間、ピケット、非組合員の説得活動等かなり活発な行動を行った。

その後、労使の話し合いで五月二七日当委員会にあっせんの申請がなされ、六月五日賃上げをめぐる闘争は終了した。

3 二五名の賃金カット問題

(1) 昭和四九年五月分賃金の計算期間は、四月二一日から五月二〇日までであり、この期間内の休日及び組合のストライキの状況は次の表のとおりである。(編注・下段の表参照)

〈省略〉

つまり、五月分賃金計算期間内の所定労働日数は、一九日であって、この期間内に組合は、一八日と二時間のストライキを行なっており、就労したのは五月二〇日の五・五時間のみであった。

(2) これに対する会社の賃金カットの方法は、〈省略〉であり、会社は五月分として六日と五・五時間分の賃金を支払っている。

ところが、五月二〇日に出勤しなかった組合員が二五名おりこれに対して会社は、当日もストライキを継続したものとみなし、一か月間を通じてストライキにより全く就労しなかったとして、家族手当・住宅手当を除く賃金の金額をカットした。

その後、二五名中九名の者が会社を退職し、組合から抜けている。

(3) 昭和四五年五月一五日以降「日給月給者の欠勤・遅刻・早退は、一日につき月給額の二五分の一の割合で差引く」旨労使間に協定があり、月給者に関しては、欠勤・遅刻・早退をしても月給の全額が保障されているが、ストライキに関する賃金カットについては協定がなく、従来から日給月給者、月給者の区別なくストライキ一日につき賃金月額の二五分の一の割合でカットされてきており、組合もこれを容認してきた。

(4) 特別有給休暇について

昭和四六年五月八日に「月一回土曜日を特別有給休暇とする」旨の協定が成立、翌昭和四七年五月一七日には「特別有給休暇を現行の上に三日増加する。但し、現行の月一回土曜交替休日は、昭和四七年六月以降各月第三土曜日、増加分は六・七・八月の第一土曜日とし、いずれも一斉休日とする。」との協定が成立している。

そして、昭和四八年五月二九日には、「現行休日の上に休日を増加し、毎月第一・第三土曜日を休日とし、四八年度の暦を定める。」との協定が締結されている。

(5) 昭和四七年の協定成立後、ある職場で仕事上有給休日に出勤しなければならない事例があったとき会社は、「土曜日の出勤については、既に有給休日として賃金を支払っているから、再び支払う必要はない。ただ、休日出勤だから二五%の割増分だけ支払う」とした経緯があり、組合も結果的にはこの取扱いを容認した。

(6) 会社は、過去においてはストライキのときの、慶弔休暇も年次有給休暇も一切認めていなかったが、昭和四八年の年末一時金闘争の中で、慶弔休暇の対象者については、事前に除外の通告を出せば、ストライキ扱いから除外することを認めた。けれども、そのほかの年次有給休暇等については組合の強い要望にもかかわらず一切認めていない。

結局、五月二〇日に欠勤した二五名の組合員については、第一、第三土曜日の特別有給休日の賃金も支払われてない。

(7) スト通告・就労通知について

組合の会社に対するストライキ通告のやり方は、ストライキ実施日の朝始業前に一日づつ「本日始業時より終業時までの間、就労を拒否します」旨文書で行われている。

(8) 五月一四日組合は、第六次回答が出たのを受け、一五日に執行委員会、一六日に代議員会、全体集会を開き、「今後は全日ストはやらないけれども弾力的に時限ストを行う可能性がある」との基本方針を決め、一七日からは全員出勤してくるよう指令した。

(9) 五月一六日深夜、工場長・総務課長と執行委員長・副執行委員長の四名が協議して、明一七日午前中に団交を行うことに合意、組合としては、午前中にも解除する予定で、五月一七日に「本日、始業時より解除通知あるまでの間就労を拒否致します」との通告をした。なお、当日団交の中で、組合のスト通告書に期限が書かれていないことが話題となったが組合は、「ストは最大限で本日の終業時まで」と言明した。

(10) 一七日の団交の中で、五月一四日の二、〇〇〇円上積み回答について会社が、これは基本給の上積みではなく一時金であると主張したため、組合は一四日の回答内容をくつがえすものであるとして態度を硬化させ、ストライキは終業時まで続く結果となった。

(11) 同日組合は、全組合員に対して、五月二〇日はストライキはやらないから始業時前に集まるよう指令したが、六名の組合員については連絡できなかった。

(12) 五月二〇日、組合員が就労しようとしたところ、職場に鍵が掛かっておりタイムカードも撤去されていて就労できる状態でなかったので、会社に就労する旨伝えたところ、会社は、就労通知ないしは解除通知を提出しなければ就労させないと回答したため、組合はこれに応じ、「本日始業時より就労致します」との通知書を出した。

しかし組合は、午前中の団交が進展しなかったので、昼休みに代議員会を開き、会社の態度に抗議するため、午後二時三〇分から終業時まで二時間の時限ストを決定し実施した。

4 時間内組合活動及びストライキに対する賃金カットについて

(1) 会社は、昭和四九年二月一八日づけ文書で組合に対し、組合活動の規制を内容とする八項目にわたる通告をなした。これに対し組合は通告書の不当性を追求し撤回を迫ったところ、同年三月二五日に至り会社・組合間で〈1〉八項目の通告内容に関しては今後話し合いを行ってゆく〈2〉結論が出るまでは従来通りとする旨の“約束事”が文書をもって協定化された。

(2) その後、同年七月に会社・組合間に時間内組合活動一日につき基本給月額の二五分の一の割合でカットする旨の口頭“とりきめ”がなされ、この“とりきめ”により賃金カットがなされてきた。

一方、三重労組と会社の間にも昭和五〇年一月に同様の“とりきめ”がなされた。

(3) 会社は、昭和五〇年三月二五日づけ文書で組合に対し「今後(三月二一日以降)就業時間内の組合活動及びストライキに対する賃金カットを該当月(賃金月)の所定労働日数の割合で控除します」との通知書を出し、同様の趣旨を同年四月一日には三重労組にも口頭通知して、それぞれ四月分賃金からこの方法により一方的に賃金カットを実施した。

(4) 会社・三重労組間に締結された協約によれば、〈1〉労働条件改訂は団交事項であること〈2〉協約違反につき紛議を生じた場合は速やかに団交すること等が定められているが、三重労組の申入れにもかかわらず会社は、労働委員会の判断待ちを理由に本通告に関して交渉に応じようとしなかった。

5 菅元紀の処分について

(1) 組合は、昭和四九年三月三〇日に会社の第一次回答一八、三三四円が提示されたとき三万円台に乗らなければ解決しない旨を伝え、その後、何回か折衝を持ち四月一三日に至り、ようやく田中副社長に会う機会を持った。鈴木専務・吉中工場長も同席しているところで、四月一六日に団交することが決まり、「組合としては、この団交を非常に重要視している」旨申し入れ、会社側も重要性を認識し、「連日でも団交して早朝に解決したい」旨副社長が述べた。

(2) 四月一六日の団交は、午後一時半頃から開かれ、会社から第三次回答として基本給二一、六九一円アップが示されたが、組合は低額であるとして納得せず、即座に拒否すると共に団交継続を申し入れた。これに対して会社側の首席交渉委員である工場長から「今日は途中で帰るようなことはしないで団交を進める」旨の発言があった。

しかし、会社側は、組合が要求している業績と回答額との関係、根拠等に明確な説明もせず長時間沈黙するなどして、組合に当事者能力を疑われることもあり、深夜に至っても交渉は全く進展しなかった。このような中で会社側から膠着状態だから団交を打切りたい旨申し入れがあったが、組合は、一応整理してけじめをつけて終ることを主張し、双方の話し合いがつかず時間だけがたっていった。

途中数回、のべ約六時間の休憩をはさみながら、団交は翌五月一七日の明け方まで続けられた。

このような状態の中で朝五時頃、吉中工場長は突然「疲れたから、団交を終了する」と宣言して歩き出した。組合員達は口々に「話をまとめず一方的に帰るのはおかしい」と抗議したが、工場長はどんどん出口の方へ歩いて行ったので室内は騒然となり、全員総立ちとなった。

この時、菅元紀は「話をまとめて帰ってくれ」と言いながら、いち早く出口のところへとび出してゆき、ドアーを背にして腕を後手に組み、足を広げて通せんぼをして工場長の退出を妨げた。

工場長は、「どいてくれ」とか「君に責任をとってもらう」とか言いながら、菅の体の右側へ行ったり左側へ行ったりして、ドアーの取っ手をつかもうとしたが、菅はその都度体を右に寄せたり左に寄せたりして取っ手をつかませなかった。

このようなことを数回、時間にして五~六分繰り返しているうちに工場長は気分が悪くなり、ドアーのすぐ側にあった椅子に座り込んでしまった。

組合は、これ以上団交を継続しても進展は望めないと断念、工場長を除く全員が、ともかく席について団交終了を確認した。

(3) 工場長は、救急車で病院に運び込まれたが、この時の診断書によると「病名高血圧 昭和四九年四月一七日頭書の疾病にて頭痛強く救急車で来院し治療しました」となっている。また、翌四月一八日工場長は自宅近くの医院で診てもらったときの診断書によれば「病名、気管支炎・腸カタル右病名により四月一七日来安静加療中、今後五日間休養加療を要します」とある。

(4) 四月一八日、会社は菅元紀あて吉中工場長名で「……会社より交渉終了を宣言して退席しようとドア・ノブに手をかけた処傍聴者である菅元紀がドアの前に立ちふさがり身体で押し返し退出を妨害した。このことは一種の暴力行為で許されるものでなく……厳重な警告をすると共にその責任を追求する」との警告書を渡している。

(5) その後六月一八日になって菅は、会社と取引き関係があり、菅の保証人になっている伯父から「お前がああいうことをやったから処分が出される、黙って素直に受取っておけ」という趣旨のことを言われた。

(6) その翌日である六月一九日、菅は工場第三応接室に呼ばれ、岩田部長・小山課長・山崎係長同席のもとに吉中工場長から「君と僕の二人の個人的な問題だから」と言われて懲戒処分通知書を渡された。それには「昭和四九年四月一六日午後一時三〇分から開かれた賃上げをめぐる団体交渉が長時間にわたり翌一七日午前五時過ぎに至って進展の気配もなく会社側交渉担当者が極度の身心疲労状態に達し身体の安全に危険があるため団交終了を告げ退席しようとしたところ、貴殿は実力をもってこれを押しのけ退出を不能にしたものである。なお、この直後会社側交渉担当者は病院に運ばれ治療を受けるに至った。」と記載されているだけで申立後に会社側から主張された勤務成績が悪いという処分理由は全くなかった。

(7) 処分の根拠としている就業規則第六五条第二号は、「他人に対し暴行脅迫を加え、又はその業務を妨げたとき。」となっている。

(8) 菅はこの処分に不服であったが、伯父から黙って受取るよう言われていたので、その場で抗議もせず受取ったが、「組合にこれを渡してもいいんですか」と問うたところ「それは君の好きなようにやってくれ」と言われた。

組合は、この処分に対して菅も加わり会社に対して抗議行動を行った。

第2 判断及び法律上の根拠

1 二五名の組合員に対する賃金カットについて

(1) 会社は、次のとおり主張している。

(ア) 昭和四九年五月一七日には、それまで一日単位のスト通告が無期限ストに変わった。五月二〇日に欠勤した二五名の者については、会社の調査でも明らかのように組合のスト解除指令が不徹底であったためによるもので、組合が就労体制を確立する義務をおこたったため、ストライキが部分的に継続したものである。

(イ) ストライキに関する賃金カットについての労使合意については、労働協約は勿論、口頭の合意も存在しない。

賃金は、労務提供に対する対価であり、従って労働した時間に応じて支払われるものであり、この期間ストライキにより労務提供が全く無かったから、賃金支払義務を全部免れうる。

また、本件申立当時組合員であっても、その後退職して現に組合員でない者は救済の対象にならない。

(ウ) 月二回の土曜休日は、ただ単に賃金カットというだけの意味である。百歩譲って、たとえ有給休暇であったとしてもそれは正常な労使関係展開中の場合のみ有給扱いが是認されるものであるから賃金請求権は有しない。

(2) 以下判断する。

(ア) 五月一七日のスト通告は、認定したとおり無期限ストではなく、その日限りのものである。

また、五月二〇日について、組合は始業時前にスト通告をしていないばかりか、会社の要求に応じて就労通知まで提出しており現にほとんどの組合員は就労しているのであるから、たとえ若干の組合員に通知もれがあったとしても、ストライキが継続しているものとは到底認め難い。

なお、組合が集団的意思として会社に就労通知をしほとんどの組合員が就労していたにもかかわらず、会社は独自に個々の組合員を調査し、これに基づいて当日欠勤した二五名の者が山猫ストでもないのにストライキを継続していたと断定したことは組合の自主性を侵害した支配介入の疑いがある。

(イ) 昭和四五年五月一五日づけ協定で日給月給者について欠勤・遅刻・早退一日につき二五分の一の割合で差引くと取決められており、ストライキについても月給者を含めて事実上この方法で賃金カットされてきており既に慣行ができていたと見るのが妥当である。

(ウ) 月二回の土曜休日については、認定したとおり、昭和四六年五月八日の協定で、「特別有給休暇」と明記されており、その後、昭和四七年五月一七日及び昭和四八年五月二九日に締結された協定は、最初の協定で明記されている特別有給休暇の日数を増加させる趣旨のものであるので、有給休暇として取扱われるべきである。

(エ) したがって、前記二五名の五月分賃金は、従来の慣行による計算方法によれば月給者は六日と五・五時間分、日給月給者は六日分となるべきところ、賃金計算期間の全日数をストライキにより就労しなかったため全額カットしたとのかなり無理な論法を突如として持ちだした会社の措置は、組合のストライキに対する報復的取扱いとみざるを得ないのであって、労働組合法第七条第一号・第三号に該当する不当労働行為である。

なお、申立後会社を退職し、組合から抜けた者についても当人から請求を放棄したとの意思表示のない限りなお申立人の被救済利益は失われないものと認められる。

2 時間内組合活動及びストライキに対する賃金カットについて

(1) 会社は次のとおり主張している。

昭和四五年五月以降、ストライキ一日につき賃金月額の二五分の一の割合でカットしてきたが、その後、休日増などにより月間平均就労日数は、二四・五日から二二・四日への減少しているので、従来からのカット方式は実情にあわなくなり、非常に不合理なものとなってしまったので、今後は当該賃金月の所定労働日数の割合でカットすることとした。

しかし、通常の欠勤・遅刻・早退による賃金カットについては、協定を破棄することによる労使紛争を敢えて望むものではないため、従来どおり、一日につき二五分の一による方法を維持する。

(2) 以下判断する。

ストライキ等組合活動に対する賃金カットについては、昭和四五年五月以後一日につき二五分の一の割合による賃金カットがされていたこと、昭和四九年三月二五日付“約束事”と称する労使間合意書の成立、同年七月及び昭和五〇年一月の“とりきめ”等からして慣行は存在していたと認められ特に、三重労組との間には協約が締結されているにもかかわらず会社がこれを無視したことは首肯できない。

賃金カット方法に不都合を生じたのであれば、労使協議のうえ変更すべきところ、会社があえて一方的に組合員に不利益な変更を通告し、強行したのは、活発になってきた組合活動や労働委員会審問等に出席するため組合員が頻繁に会社を休むことに対するけん制であり、経済的な面から組合活動を規制する意図でなされたものと認められ、労働組合法第七条第一号・第三号に該当する不当労働行為である。

3 菅元紀に対する懲戒処分について

(1) 会社は、次のとおり主張する。

工場長は、長時間団交で疲労がはなはだしく、耐えられない状態になったので、団交の進展も望めないことから終了を宣言して退出しようとしたら菅の実力行使にあい椅子に倒れ込んだ、これは、工場長の生命身体に危険を及ぼすものであり工場長は救急車により病院に運ばれて治療を受けるに至った。この退出妨害行為の違法性は強度である。

(2) 以下判断する。

当日の団交は、長時間かつ喧騒にわたったことがうかがわれまた、会社側交渉員もかなり疲労していたことも想像できる。

しかし、認定したように吉中工場長に対する菅の行為は単に数分間ドアの前に立ちはだかったのみで暴力行為というほどのものではなかったのであり、このことは工場長自身の証言からも認められるのみならず工場長が病院に運ばれるに至った原因は、持病の高血圧が長時間の団交で悪化し気持が悪くなり倒れたものと見るべきである。体力を消耗する団交の場に持病者を交渉責任者として交替もさせず長時間出席させていた会社側にも問題があるのに、菅個人の責任のみを追及し就業規則により処分したことは失当である。

さらに、処分理由を審査の段階で追加しても本件判断を左右するものでない。よって、菅元紀の行為は、さきに認定した程度のものであり一応組合活動の一環としてなされたものである以上会社の処分は、労働組合法第七条第一号・第三号に該当する不当労働行為である。

よって当委員会は、労働組合法第二七条・労働委員会規則第四三条により主文のとおり命令する。

昭和五一年三月一九日

神奈川県地方労働委員会

会長 佐藤豊三郎

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